・・・また女がにっこりする。と思うと見えなくなる。跡はただ前後左右に、木馬が跳ねたり、馬車が躍ったり、然らずんば喇叭がぶかぶかいったり、太鼓がどんどん鳴っているだけなんだ。――僕はつらつらそう思ったね。これは人生の象徴だ。我々は皆同じように実生活・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ 老人は眉をひそめたまま、暫くは黙って、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、「いかにもおれは峨眉山に棲んでいる、鉄冠子という仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好さそうだったから、二度まで大金持にして・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・ 例の晴ればれした、りんの音のような声がすると、まもなくおとよさんは庭場へ顔を出した。にっこり笑って、「まあにぎやかなこと。……うっとしいお天気でございます。お祖母さんなんですか。あそうですか、どうもごちそうさま」 今まで唯一の・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 出口の腰障子につかまって、敷居を足越そうとした奈々子も、ふり返りさまに両親を見てにっこり笑った。自分はそのまま外へ出る。物置の前では十五になる梅子が、今鶏箱から雛を出して追い込みに入れている。雪子もお児もいかにもおもしろそうに笑いなが・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・おとよはひとりでにっこり笑って、きっぱり自分だけの料簡を定めて省作に手紙を送ったのである。 省作はもとより異存のありようがない、返事は簡単であった。 深田にいられないのもおとよさんゆえだ。家に帰って活き返ったのもおとよさんゆえだ。も・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・お松は襷をはずして母に改った挨拶をしてから、なつかしい目でにっこり笑いながら「坊さんきまりがわるいの」と云って自分を抱いてくれた。自分はお松はなつかしいけれど、まだ知らなかったお松の母が居るから直ぐにお松にあまえられなかった。母はお松の母と・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・と、お母さまは、よくお姉さんを思い出したといわぬばかりに、我が子の顔を見て、にっこりと笑われました。 小川未明 「青い花の香り」
・・・と、若い上野先生は、にっこりなさいました。「叔母さんのお使いで、どうもすみません。」と、年子はいいました。窓から、あちらに遠くの森の頂が見えるお教室で、英語を先生から習ったのでした。 きけば、先生は、小さい時分にお父さんをおなくしに・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・ 空色の着物を着た子供はにっこり笑って、「僕も独りで、つまらないから、君といっしょに遊ぼうと思って呼んだのさ。」「じゃ、二人で仲よく遊ぼうよ。」と、正雄さんは、その岩の下に立って見上げました。「君、この岩の上へあがりたまえな・・・ 小川未明 「海の少年」
・・・ すっかり仕度をして、これから出てゆこうとしたおじいさんは、にっこり笑って、太郎の方を振り向きながら、「じきに帰ってくるぞ。晩までには帰ってくる……。」といいました。「なにか、帰りにおみやげを買ってきてね。」と、少年は頼んだので・・・ 小川未明 「大きなかに」
出典:青空文庫