・・・ 婆さんはやはり嘲るように、にやにや独り笑っているのです。「貰い子か貰い子でないか、一目見りゃわかることだ。貴様がつれて来なければ、おれがあすこへ行って見る」 遠藤が次の間へ踏みこもうとすると、咄嗟に印度人の婆さんは、その戸口に・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ HはMにこう言われても、弓の折れの杖を引きずったまま、ただにやにや笑っていた。「Mさん、あなたも何かやるでしょう?」「僕? 僕はまあ泳ぎだけですね。」 Nさんはバットに火をつけた後、去年水泳中に虎魚に刺された東京の株屋の話・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・ 青侍は、にやにや笑うばかりで、返事をしない。鶯も、もう啼かなくなった。「やがて、男は、日の暮に帰ると云って、娘一人を留守居に、慌しくどこかへ出て参りました。その後の淋しさは、また一倍でございます。いくら利発者でも、こうなると、さす・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ 神山はにやにや笑いながら、時計の紐をぶら下げた瑪瑙の印形をいじっていた。「あんな所に占い者なんぞがあったかしら。――御病人は南枕にせらるべく候か。」「お母さんはどっち枕だえ?」 叔母は半ばたしなめるように、老眼鏡の眼を洋一・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ と断って……早速ながら穿替えた、――誰も、背負って行く奴もないものだが、手一つ出すでもなし、口を利くでもなし、ただにやにやと笑って見ているから、勢い念を入れなければならなかったので。……「お幾干。」「分りませんなあ。」「誰・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ お前は随分苦り切って、そんな羽目になった原因のおれの記事をぶつぶつ恨みおかしいくらいだったから、思わずにやにやしていると、お前は、「あんたという人は、えげつない人ですなあ」 と、呆れていた。「――まあ、そう言うな。潰してし・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・『入りそこねて変だから今夜はよそうよ、さっき親父さんが出直せッて言ったから、』とにやにや笑いながら言う。『アラお前さんだったの? 何だか妙なことを言ってたと思ったよ。まアお入りな、かまわないから。』『出直そうよ、ぐずぐずしてると・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・武之允山城守』『全く修蔵様は尺八が巧いよ』とにやにや笑うのです。この男は少し変りもので、横着もので、随分人をひやかすような口ぶりをする奴ですから、『殴るぞ』と尺八を構えて喝す真似をしますと、彼奴急に真面目になりまして、『修蔵様に是非・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・相変らず、おかしげににやにや独りで笑っていた。「イーイーイイイ!」という掛声とともに、別の橇が勢いよく駈けこんできた。手綱が引かれて馬が止ると同時に防寒帽子の毛を霜だらけにした若いずんぐりした支那人がとびおりた。ひと仕事すまして帰ってき・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。いったいに、弟妹たちは、この兄を甘く見ている。なめている風がある。長女は、二十六歳。いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよくできた。・・・ 太宰治 「愛と美について」
出典:青空文庫