・・・朝子供をつれて出勤し、退け時まで、女医と保姆の手もとにある子について何の心配がいろう。 子を産んでその男から捨てられるという悲劇もソヴェトでは女をセイヌ河や隅田川へは行かせない。国民裁判所へ彼女を行かせるだけだ。民法は、事情によって父親・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・おくれている中国の状況を見ても、そこには女医は急速に増して来ていて、併し女の病理学者は一人も知られていない。 文学における文芸理論と作品とのようなもので、一方だけでは不具なのだと思う。正当な成育力がないことの左証である。科学上の原理の発・・・ 宮本百合子 「市民の生活と科学」
・・・ それから女医学生は質問した。――貴方は饑えたことはないか? 饑えたことはないか。――否と答えたが、この入沢内科ではきくことのないであろう単純な質問は自分に強烈な印象をのこした。 社会と病との相互関係の密接さが自分を圧した。・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・その時分、一番早く一本だちになって開業した女医さんである一人の仲間が、そういう場合、よくみんなのために尽力した。 十年が経ってゆくうちに、或るひとは結婚し、或る人は専門の職業で確立し、或るひとは更にこれまでの職業から、個性のより大きく生・・・ 宮本百合子 「図書館」
・・・その奥に、まるで明るく小ざっぱりと更紗の布をテーブルにかけて女医者マリアが棲んでるので日本女は、びっくりした。室には昔風なペチカがたかれ、暖かい。丁度茶を飲んでるところで、テーブルに野苺のジャムが出ていた。 ――一口お茶のんでいらっしゃ・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
・・・等に比べて、遙かに意慾的なこの作品は、或る労働者の赤坊をとりあげてやった女医である允子が快く早朝のラジオ体操の掛声をきくところで終っているのである。 私は、この作者の生活意識をこの作品までに高め、力あるものとした当時の若い時代の圧力とい・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・そのために外形上、女子大学、専門学校等が出来、何人かの婦人弁護士と、より多数の女医、沢山の女教師が出ている今日でも、その人々の専門家としての力量、社会人としての智力能力は遺憾ながら、大体同じ専門教育を受けた男子と等しくないという悲しい結果を・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫