・・・ が、おかしな売方、一頭々々を、あの鰭の黄ばんだ、黒斑なのを、ずぼんと裏返しに、どろりと脂ぎって、ぬらぬらと白い腹を仰向けて並べて置く。 もしただ二つ並ぼうものなら、切落して生々しい女の乳房だ。……しかも真中に、ズキリと庖丁目を入れ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・毛穴から火が吹きだすほどの熱、ぬらぬらしたリパード質に包まれた結核菌がアルコール漬の三月仔のような不気味な恰好で肝臓のなかに蠢いているだろう音、そういうものを感ずるだけではない。これから歩かねばならないアパートまで十町の夜更けの道のいやな暗・・・ 織田作之助 「道」
・・・水のようなものを吐いて、岩のうえを這いずりまわっていた様子で、私は、その吐瀉物をあとへ汚くのこして死ぬのは、なんとしても、心残りであったから、マントの袖で拭いてまわって、いつしか、私にも、薬がきいて、ぬらぬら濡れている岩の上を踏みぬめらかし・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ なめこというぬらぬらした豆きのこは大変ねだんがよかった。それは羊歯類の密生している腐木へかたまってはえているのだ。スワはそんな苔を眺めるごとに、たった一人のともだちのことを追想した。蕈のいっぱいつまった籠の上へ青い苔をふりまいて、小屋・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ところがその蒸しパンも、その外皮が既にぬらぬらして来て、みんな捨てなければならなくなっていました。あと、食べるものといっては、炒った豆があるだけでした。少し持っているお米は、これはいずれどこかで途中下車になった時、宿屋でごはんとかえてもらう・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・いまも、ふと、蚊帳の中の蚊を追い、わびしさ、ふるさとの吹雪と同じくらいに猛烈、数十丈の深さの古井戸に、ひとり墜落、呼べども叫べども、誰の耳にもとどかぬ焦慮、青苔ぬらぬら、聞ゆるはわが木霊のみ、うつろの笑い、手がかりなきかと、なま爪はげて血だ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・あまり感心したために機械油でぬらぬらする階段ですべってころんで白い夏服を台無しにしたことであった。 現代のジャーナリズムは結局やはり近代における印刷術ならびに交通機関の異常な発達の結果として生まれた特異な現象である。同時に反応的にまたこ・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ 洗場の流は乾く間のない水のために青苔が生えて、触ったらぬらぬらしそうに輝っている。そして其処には使捨てた草楊枝の折れたのに、青いのや鼠色の啖唾が流れきらずに引掛っている。腐りかけた板ばめの上には蛞蝓の匐た跡がついている。何処からともな・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫