・・・そこから斜に濃い藍の一線を曳いて、青い空と一刷に同じ色を連ねたのは、いう迄もなく田野と市街と城下を巻いた海である。荒海ながら、日和の穏かさに、渚の浪は白菊の花を敷流す……この友禅をうちかけて、雪国の町は薄霧を透して青白い。その袖と思う一端に・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・いつも木の根や、家の軒でねたり、林の中でねたりしていた。朝早く起きると、子供が遊んでいるのを探して歩いた。 ある日じいさんが、途中で財布を取り出して金を計算しているのを見た。乞食の子は、さっそくそばへきて、地面に落ちている小石を拾って、・・・ 小川未明 「つばめと乞食の子」
・・・ あがりがまちのむこうには、荷馬車稼業の父親が、この春仕事さきで大怪我をしてからというもの、ねたきりでいたし、そばにはまだ乳のみ児の妹がねかしてあった。母親にすれば、倅の室の隅においている小さい本箱と、ちかごろときどき東京からくる手紙が・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 平田は待ちかねたという風情で、「小万さん、一杯献げようじゃアないかね」「まアお熱燗いところを」と、小万は押えて平田へ酌をして、「平田さん、今晩は久しぶりで酔ッて見ようじゃありませんか」と、そッと吉里を見ながら言ッた。「そうさ」・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・きのうと今日と三時間ほどねたばっかりで私は十六になり今までより以上に改良もし進歩もしなくっちゃあならないかと思うと急に私の肩が重くなった様に思われる。口だけでない覚悟をしなければならない私は意味のあるよろこびと微笑とをもって居る幸福だ! 私・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・貸本屋が笈の如くに積み畳ねた本を背負って歩く時代の事である。その本は読本、書本、人情本の三種を主としていた。読本は京伝、馬琴の諸作、人情本は春水、金水の諸作の類で、書本は今謂う講釈種である。そう云う本を読み尽して、さて貸本屋に「何かまだ読ま・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫