・・・簡単な啼声で動物と動物とが互を理解し合うように、妻は仁右衛門のしようとする事が呑み込めたらしく、のっそりと立上ってその跡に随った。そしてめそめそと泣き続けていた。 夫婦が行き着いたのは国道を十町も倶知安の方に来た左手の岡の上にある村の共・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 店には、ちょうど適齢前の次男坊といった若いのが、もこもこの羽織を着て、のっそりと立っていた。「貰って穿きますよ。」 と断って……早速ながら穿替えた、――誰も、背負って行く奴もないものだが、手一つ出すでもなし、口を利くでもなし、・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 私がのっそりと突立った裾へ、女の脊筋が絡ったようになって、右に左に、肩を曲ると、居勝手が悪く、白い指がちらちら乱れる。「恐縮です、何ともどうも。」「こう三人と言うもの附着いたのでは、第一私がこの肥体じゃ。お暑さが堪らんわい。衣・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ そこへ、丸太棒が、のっそり来た。「おじい、もういいか、大丈夫かよ。」「うむ、見せえ、大智識さ五十年の香染の袈裟より利益があっての、その、嫁菜の縮緬の裡で、幽霊はもう消滅だ。」「幽霊も大袈裟だがよ、悪く、蜻蛉に祟られると、瘧・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ これが姉のほめことばで見ても知られる。のっそり子の省作も、おとよさんの親切には動かされて真底からえい人だと思った。おとよさんが人の妻でなかったらその親切を恋の意味に受けたかもしれないけれど、生娘にも恋したことのない省作は、まだおとよさ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
一 隣の家から嫁の荷物が運び返されて三日目だ。省作は養子にいった家を出てのっそり戻ってきた。婚礼をしてまだ三月と十日ばかりにしかならない。省作も何となし気が咎めてか、浮かない顔をして、わが家の門をくぐった・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・』と今度はなお強く言いましたので私も仕方がないから、のっそり内庭に入りました。私の入ったのを見て、武は上にあがり茶の間の次ぎに入りました。しばらく出て参りません、その様子が内の誰かとこそこそ話をしているようでした。間もなく出て参りまして、今・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 其所へのっそり帰って来たのが亭主の磯吉である。お源は単直前借の金のことを訊いた。磯は黙って腹掛から財布を出してお源に渡した。お源は中を査めて「たった二円」「ああ」「二円ばかし仕方が無いじゃアないか。どうせ前借するんだもの五・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ 突然に障子をあけて一人の男がのっそり入ッて来た。長火鉢に寄っかかッて胸算用に余念もなかった主人が驚いてこちらを向く暇もなく、広い土間を三歩ばかりに大股に歩いて、主人の鼻先に突ったッた男は年ごろ三十にはまだ二ツ三ツ足らざるべく、洋服、脚・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・小村は、のっそり起上って窓のところに来た。「見えやしないじゃないか。」「よく見ろ、はねてるんだ。……そら、あの石を積み重ねてある方へ走ってるんだ。長い耳が見えるだろう。」 二人とも、寝ることにはあきていた。とは云え、勤務は阿呆らしく・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
出典:青空文庫