・・・台所で、何もせずに、ただのっそりつっ立っている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、うすみっともなく、妙に疳にさわって、おい、お慶、日は短いのだぞ、などと大人びた、いま思っても脊筋の寒くなるような非道の言葉を投げつけて、それで足り・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・っそう、むっつり押し黙って、そうして出版の欠損の穴埋めが、どうやら出来て、それからはもう何の仕事をする気力も失ってしまったようで、けれども、一日中うちにいらっしゃるというわけでもなく、何か考え、縁側にのっそり立って、煙草を吸いながら、遠い地・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ 数日後、大隅忠太郎君は折鞄一つかかえて、三鷹の私の陋屋の玄関に、のっそりと現われた。お嫁さんを迎えに、はるばる北京からやって来たのだ。日焼けした精悍な顔になっていた。生活の苦労にもまれて来た顔である。それは仕方の無い事だ。誰だって・・・ 太宰治 「佳日」
・・・と学生みたいな若い口調で言って、のっそり私の部屋へはいって来られた。思っていたよりも小柄で、きれいなじいさんでした。白い歯をちらと見せて笑って、「鶯が六羽いるというのは、この襖か。なるほど、六羽いる。部屋を換えたまえ。」とせかせか言いました・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・いってもいっても、からだがきまらず、そのうちに、私のすぐ鼻のさき、一丈ほどの赤土の崖がのっそり立った。見あげると、その崖のうえには、やしろでもあるのか、私の背丈くらいの小さい鳥居が立っていて、常磐木が、こんもりと繁り、その奥ゆかしさが私をま・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・おととしの秋、社員全部のピクニックの日、ふだん好きな酒も呑まず、青い顔をして居りましたが、すすきの穂を口にくわえて、同僚の面前にのっそり立ちふさがり薄目つかって相手の顔から、胸、胸から脚、脚から靴、なめまわすように見あげ、見おろす。帰途、夕・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・総ての分割の、とっくにすんだ後で、詩人がのっそりやって来た。彼は遥か遠方からやって来た。ああ、その時は何処にも何も無く、すべての土地に持主の名札が貼られてしまっていた。「ええ情ない! なんで私一人だけが皆から、かまって貰えないのだ。この私が・・・ 太宰治 「心の王者」
・・・ 九月のはじめ、私は昼食をすませて、母屋の常居という部屋で、ひとりぼんやり煙草を吸っていたら、野良着姿の大きな親爺が玄関のたたきにのっそり立って、「やあ」と言った。 それがすなわち、問題の「親友」であったのである。(私はこの・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・ すぐつづいて太宰が障子をあけてのっそりあらわれた。ひとめ見て、私はあわてふためいて眼をそらした。これはいけないと思った。彼の風貌は、馬場の形容を基にして私が描いて置いた好悪ふたつの影像のうち、わるいほうの影像と一分一厘の間隙もなくぴっ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・二匹の競馬の馬の間に、駱駝がのっそり立っているみたいですね。私は、どうしてこんなに、田舎くさいのだろう。これでも、たいへんいいつもりで腕組みしたのですがね。自惚れの強い男です。自分の鈍重な田舎っぺいを、明確に、思い知ったのは、つい最近の事な・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
出典:青空文庫