・・・大衆的な某誌は、その反動保守的な編輯方針の中で、色刷り插絵入りで、食い物のこと、悲歎に沈む人妻の涙話、お国のために疲れを忘れる勤労女性の実話、男子の興味をそそる筆致をふくめた産児制限談をのせて来た。 また、或る婦人雑誌はその背後にある団・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・に対して、その作品がプロレタリア的観点からの著しい背離の傾向を以て書かれていることを指摘した点は、正鵠を得ている。両者の批評に際して、これらを決定的な非プロレタリア的作品としてしまっている点が誤りである。「樹のない村」についていうと、作・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・東條を頭目とする日本の戦犯者の国際裁判の最終日に、キーナン検事が、「正義を伴わない文明は背理である」といった言葉のうちには、人類の正義への評価があった。第一次大戦後、平和のための国際連盟にアメリカが、最大の能力をもちながら加入しなかったこと・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・討手でないのに、阿部が屋敷に入り込んで手出しをすることは厳禁であるが、落人は勝手に討ち取れというのが二つであった。 阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、まず邸内を隈なく掃除し、見苦しい物はことごとく焼きすてた。それから老若打ち・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「明日のオペラ座の切符手に入り候に付、主人同道お誘いに参り可申候、何卒御待受被下度候。母上様」と云うのでした。お母あ様の所へ出す手紙を、あなたはわたくしの部屋に落してお置きになったですねえ。 女。おや。そうでしたか。あの手紙はあなたの所・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・「はははは、さぞ御感に入りなされたろう、軍が終ッて。身に疵をば負いなされたか」「四カ所負いたがいずれも薄手であッた。とてもあのような乱軍の中では無疵であろう者はおじゃらぬ。もちろん原で戦うのじゃから、敵も味方もその時は大抵騎馬であッ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「お嬢ちゃん。」 灸は廊下の外から呼んでみた。「お這入りなさいな。」と、婦人はいった。 灸は部屋の中へ這入ると暫く明けた障子に手をかけて立っていた。女の子は彼の傍へ寄って来て、「アッ、アッ。」といいながら座蒲団を灸の胸へ・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・して此の生活の感覚化を生活の理性化へ転開することそれ自体は、決して新しき感覚派なるものの感覚的表徴条件の上に何らの背理な理論をも持ち出さないのは明らかなことである。もしこれをしも背理なものとして感覚派なるものに向って攻撃するものがありとすれ・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ こういう仕方でやがて夏になり、野萩の咲くころとなり、秋に入り、雪を迎え、新年になる。遅い山国の春にも紅梅が咲き、雪が解け、やがて猫やなぎがほほけ、つくしがのび、再び蓮華草の田がすきかえされ、初雷の聞こえるころになる。その間の数多い歌が・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫