・・・おばあさんは、貴方御存じないけれども南風の吹く日はやたらに忙しがって用もないのにお離れでコトコト動いて、私が「おばあさま、どうなすったの」ときくと、「きょうは、はア、南風が吹くごんだ」と云って、あわてているの。春になって南風が吹くと私も閉口・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 十一月四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 十一月四日 ひどい南風。第十八信。 その後盲腸の工合はいかがでしょう。夜眠れないほどお痛みになったとは想像も出来ませんでした。ひやした丈でどうやら納まったのならまアよ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・世路の荒さを肌に感じさせる「南風の烈しき日」ひとりをかみしめて食む 夕食と涙たよりにする親木をもたない小さい花はくらしの風に思うまゝ五体をふかせてつぼみの枝も ゆれながらひらく「女ひとり」のこの涙は、作者・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
桑野村にて ○日はうららかに輝いて居る。けれども、南風が激しく吹くので、耕地のかなたから、大波のように、樹木の頭がうねり渡った。何処かで障子のやぶれがビュー、ビュービューと、高く低くリズムをつけて鳴って居る・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・ すっかりはげた頭の中途に五分位のはばでまっ白な髪の毛がはえて居る。写真で見たより倍も倍も活々した美くしい顔をして居る。〔欄外に〕 彼はどう云うときに、自分は生きすぎたと感じたろうか。 一、彼が――百十二三歳のとき。・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・その作文は、療養所の発刊している『南風』にのって、療養所の人たちに愛読されていた。 松山くにが十八歳になったとき、彼女は結核性脳炎にかかって、数日のわずらいで亡くなった。 彼女には、「あの包み」といって大事にしている一つの包みがあっ・・・ 宮本百合子 「病菌とたたかう人々」
・・・ 水気の多い南風がかるく吹いて、この間種ねを下した麦だの、その他の草花の青い芽が、スイスイと一晩の中に萌え出て仕舞って居る。 私のきらいなあの紅い椿も、今日は、うるんだ色に見えて居るし、高々と、空の中に咲いて居る白木蓮の花が、まぶし・・・ 宮本百合子 「南風」
・・・老木の朽ち枯れるそばで、若木は茂り栄えて行く。嫡子光尚の周囲にいる少壮者どもから見れば、自分の任用している老成人らは、もういなくてよいのである。邪魔にもなるのである。自分は彼らを生きながらえさせて、自分にしたと同じ奉公を光尚にさせたいと思う・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・しかしこれは倅の考えるように、教育が信仰を破壊すると云うことを認めた上の話である。果してそうであろうか。どうもそうかも知れない。今の教育を受けて神話と歴史とを一つにして考えていることは出来まい。世界がどうして出来て、どうして発展したか、人類・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・三十六歳で右近衛権少将にせられた家康の一門はますます栄えて、嫡子二郎三郎信康が二十一歳になり、二男於義丸(秀康が五歳になった時、世にいう築山殿事件が起こって、信康はむざんにも信長の嫌疑のために生害した。後に将軍職を承け継いだ三男長丸(秀忠は・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫