○明治廿八年五月大連湾より帰りの船の中で、何だか労れたようであったから下等室で寝て居たらば、鱶が居る、早く来いと我名を呼ぶ者があるので、はね起きて急ぎ甲板へ上った。甲板に上り著くと同時に痰が出たから船端の水の流れて居る処へ何心なく吐くと・・・ 正岡子規 「病」
・・・四月九日〔以下空白〕一千九百廿五年五月五日 晴まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好きでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙の卵のような気がす・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・見ると、イ警第三二五六号 聴取の要有之本日午後三時本警察署人事係まで出頭致され度し一九二七年六月廿九日第十八等官レオーノ・キュースト殿とあったのです。 ああ、あのデストゥパーゴのことだな、これはおもしろい・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ 首を一つふって仙二は垣根からはなれてどこと云うあてもなく畑の方に歩き出した。 畑地の足のうずまる様なムクムクの細道をうつむいて歩きながら青い少し年には骨立った手を揉み合わせては頼りない様に口笛を吹いた。 畑の斜に下って居る桑の・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ はてしなくつづく広い畑地の間のただ一本の里道を吹雪に思いのままに苦しめられながら私は車にゆられて行った。 私の行く道は大変に長く少しの曲りもなしにつづいて居る。 小村をかこんで立った山々の上から吹き下す風にかたい粉雪は渦を巻き・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・「七月廿七日、晴。涼し。前略。交際馴れた近藤氏はロシア語も自由であるらしく、種々とメヌーをくり返して注文された。羊肉の串焼を高く捧げて、一人の助手がそれを恭々しくぬいては客に供する、実にこと/″\しい。そのうちに、この家独特のロシアの貴族?・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・ 千世子はこれから草を刈ったり耕したりしなければならない畑地が苗を下すに合うか合わないか分らない様につくつくとのびて行くか、根ざしさえ仕ずに枯れて仕舞うんだか分りもしない事でありながら肇についてそんな事の思われたのはいかにもいやだった。・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ きょうの毎日に 去年、五〇パーセントであった廿五年八〇パーセントとある。これは、権力そのものが人権蹂躙を許している幅のひろがりである。追放を考えても すべて 人権蹂躙、読売は 地方刑罰条令が・・・ 宮本百合子 「東大での話の原稿」
・・・それは、その村人自身にならなければ分らないけれ共、気候が悪いし、冬の恐ろしく長い事、諸国人の寄合って居る事、豊饒な畑地の少ない事、機械農業の行われない事、などは、他国者でも分ることである。 明治の初年、この村が始めて開墾されてから、変っ・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 雄鴨は、危険なものに立ち向った時に、いつでもする様に体をズーッと平べったくし、首丈を長々とのばして、ゆるい傾斜の畑地の向うに、サラ……と音を立てて行く光ったものを見つめた。「なあんだ、 フフフフなあんだお前水だよ。水が・・・ 宮本百合子 「一条の繩」
出典:青空文庫