・・・ただ溪間にむくむくと茂っている椎の樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。 そんな風景のうえを遊んでいた私の眼は、二つの溪をへだてた杉山の上から青空の透いて見えるほど淡い雲が絶えず湧いて来るのを見たとき、不知不識そのなかへ・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・真珠をもおろそかに与えず、豚さん、これは真珠だよ、石ころや屋根の瓦とは違うのだよ、と懇切ていねい、理解させずば止まぬ工合いの、けちな啓蒙、指導の態度、もとより苦しき茨の路、けれども、ここにこそ見るべき発芽、創生うごめく気配のあること、確信、・・・ 太宰治 「創生記」
・・・何のかのと、陳腐きわまる文学論だか、芸術論だか、恥かしげも無く並べやがって、以て新しい必死の発芽を踏みにじり、しかも、その自分の罪悪に一向お気づきになっておらない様子なんだから、恐れいります。押せども、ひけども、動きやしません。ただもう、命・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・一粒の草花の種子が発芽してから満開するまでの変化を数分の間に完了させることもできる一方では、また、弾丸が銃口を出て行く瞬間にこれに随伴する煙の渦環や音波の影の推移をゆるゆると見物することもできる。眠っているように思っている植物が怪獣のごとく・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・それが適当な湿度と温度に会って発芽しているのであった。 植物の発育は過去と現在の環境で決定される。しかし未来に対する考慮は何の影響ももたない。もしそれがあるのだったら、今にも人の下駄の歯に踏みにじられるようなこんな道路の上に、このような・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・元来こうした性癖の発芽は、子供の時の我がまま育ちにあるのだと思う。僕は比較的良家の生れ、子供の時に甘やかされて育った為に、他人との社交について、自己を抑制することができないのである。その上僕の風変りな性格が、小学生時代から仲間の子供とちがっ・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・一 これは正しいものの種子を有し、その美しい発芽を待つものである。しかもけっして既成の疲れた宗教や、道徳の残滓を、色あせた仮面によって純真な心意の所有者たちに欺き与えんとするものではない。二 これらは新しい、よりよい世界の構成材料を・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・春三月 発芽を待つ草木と二十五歳、運命の隠密な歩調を知ろうとする私とは双手を開き空を仰いで意味ある天の養液を四肢 心身に 普く浴びようとするのだ。 二月十六日 ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・十九世紀に大芸術家、科学者、政治家を輩出させた社会の創造的可能性は、その矛盾の深まるにつれてしだいに萎靡して、二十世紀前半は、ほとんどあらゆる分野においてその解説者、末流、傍系的才能しか発芽させえなかった。十九世紀は、その興隆する資本主義社・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・よく成ろうとする無数の力、発展しようとする発芽の希願は、厚い塵芥の堆積の下で、恐るべき長時間を過さなければならないのでございます。 私は明かに私共の仲間である多くの若き女性が、少くとも次の時代に於て、何等か有形の発展を遂げ得る動機を各自・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫