・・・沼南の味も率気もない実なし汁のような政治論には余り感服しなかった上に、其処此処で見掛けた夫人の顰蹙すべき娼婦的媚態が妨げをして、沼南に対してもまた余りイイ感じを持たないで、敬意を払う気になれなかった。 が、この不しだらな夫人のために泥を・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留めておりますが、私がたいへん世話になりましたアーマスト大学の教頭シーリー先生がいった言葉に「この学校で払うだけの給金を払えば学者を得ることはいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・文子がくれた金は汽車賃を払うと、もうわずかしか残らず、汽車の食堂での飲み食いが精いっぱいでしたので、汽車を降りて、煙草を買うと、もう無一文。しかし、かえってサバサバした気持で大阪駅から中之島公園まで歩きました。公園の中へはいり、川の岸に腰を・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・「それだけ全部闇屋に払うのか」「いや、配給もあるし、ない時は吸殻をパイプで吸うし、しかし二千円はまず吸うかな」「じゃ、いくら稼いでも皆煙にしてしまうわけだ。少し減らしたらどうだ」「そう思ってるんだが、仕事をはじめると、つい夢・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・杣の入るべき方とばかり、わずかに荊棘の露を払うて、ありのままにしつらいたる路を登り行けば、松と楓樹の枝打ち交わしたる半腹に、見るから清らなる東屋あり。山はにわかに開きて鏡のごとき荻の湖は眼の前に出でぬ。 円座を打ち敷きて、辰弥は病後の早・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・夕闇の風、軽ろく雨を吹けば一滴二滴、面を払うを三人は心地よげに受けてよもやまの話に入りぬ。 その後教師都に帰りてより幾年の月日経ち、ある冬の夜、夜更けて一時を過ぎしに独り小机に向かい手紙認めぬ。そは故郷なる旧友の許へと書き送るなり。その・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・また、金は払うと云いつつ、当然のように、仔をはらんでいる豚を徴発して行かれたことがあった。畑は荒された。いつ自分達の傍で戦争をして、流れだまがとんで来るかしれなかった。彼は用事もないのに、わざわざシベリアへやって来た日本人を呪っていた。・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・金を払うのに古い一円札ばかり十円出すのだったら躊躇するぐらいだ。彼女は番頭に黙って借りて帰ったモスリンと絣を、どう云ってその訳を話していゝか思案している。心を傷めている。――彼はいつのまにかお里の心持になっていた。――番頭が、三反持ってかえ・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・を聞いているのかと思ったら、何かもじもじしていたあとで、私の前に手をひろげて見せた。「とうさん、月給は?」 この「月給」が私を笑わせた。毎月、私は三人の子供に「月給」を払うことにしていた。月の初めと半ばとの二度に分けて、半月に一円ず・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・と問えど、返事もしないでただ涙を払う。「お母さんはいないの?」と言えば顔を横に振る。「いるの?」と言えどやっぱり横に振る。「どうしたんだ。姉さんはどこへ行ったんだい?」と聞くと、章坊は涙の目を見張って、「姉さんはもう帰っちゃ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫