・・・そのうちに海軍の兵曹上りの男が宵のうちから卵塔場に張りこんでいて、とうとう幽霊を見とどけたんですがね。とっつかまえて見りゃ何のことはない。ただそのながらみ取りと夫婦約束をしていたこの町の達磨茶屋の女だったんです。それでも一時は火が燃えるの人・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・高い腰の上は透明なガラス張りになっている雨戸から空をすかして見ると、ちょっと指先に触れただけでガラス板が音をたてて壊れ落ちそうに冴え切っていた。 将来の仕事も生活もどうなってゆくかわからないような彼は、この冴えに冴えた秋の夜の底にひたり・・・ 有島武郎 「親子」
・・・今までは処々に捩れて垂れて居て、泥などで汚れて居た毛が綺麗になって、玻璃のように光って来た。この頃は別荘を離れて、街道へ出て見ても、誰も冷かすものはない。ましてや石を投げつけようとするものもない。 しかし犬が気持ちよく思うのはこの時もた・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ この女像にして、もし、弓矢を取り、刀剣を撫すとせんか、いや、腰を踏張り、片膝押はだけて身構えているようにて姿甚だととのわず。この方が真ならば、床しさは半ば失せ去る。読む人々も、かくては筋骨逞しく、膝節手ふしもふしくれ立ちたる、がんまの・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・が、それはとにかく――東京の小県へこの来書の趣は、婦人が受辱、胎蔵の玻璃を粉砕して、汚血を猟色の墳墓に、たたき返したと思われぬでもない。昭和八年一月 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・気の張りが全く衰えてどうなってもしかたがないというような心持ちになってしまった。 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・昼間はとても出ることが出来なかった、日が暮れるのを待ったんやけど、敵は始終光弾を発射して味方の挙動を探るんで、矢ッ張り出られんのは同じこと。」「鳥渡聴くが、光弾の破裂した時はどんなものだ?」「三四尺の火尾を曳いて弓形に登り、わが散兵・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・丁度その時夏目さんは障子を張り代えておられたが、私が這入って行くと、こう言われた。「どうも私は障子を半分張りかけて置くのは嫌いだから、失礼ですが、張ってしまうまで話しながら待っていて下さい。」 そんな風で二人は全く打ち解けて話し込ん・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・北海沿岸特有の砂丘は海岸近くに喰い止められました、樅は根を地に張りて襲いくる砂塵に対していいました、ここまでは来るを得べししかしここを越ゆべからずと。北海に浜する国にとりては敵国の艦隊よりも恐るべき砂丘は、戦闘艦ならずし・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・そうして見ると、女房の持っていた拳銃の最後の一弾が気まぐれに相手の体に中ろうと思って、とうとうその強情を張り通したものと見える。 女房は是非このまま抑留して置いて貰いたいと請求した。役場では、その決闘というものが正当な決闘であったなら、・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
出典:青空文庫