・・・』『ハあ、お峰がそう言ってよ、そしてね姉さんのお目が大変赤くなって腫れていましたよ。』文造はしばらく物思いに沈んでいたが、寒気でもするようにふるえた。突然暇を告げて、そしてぼんやり自宅に帰った。かれは眩暈のするような高いところに立ってい・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・脚がぶくぶくにはれて、向う脛を指で押すと、ポコンと引っこんで、歩けない娘も帰って来た。病気とならない娘は、なか/\町から帰らなかった。 そして、一年、一年、あとから生長して来る彼女達の妹や従妹は、やはり町をさして出て行った。萎びた梨のよ・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・手を触れると、丁度てっぺんが腫れ上っていた。彼は煙突の方に向いて両手で顔を蔽うて泣いた。 仕事が始る時、従兄がやって来て、「阿呆が、もっと気を付けい!」と云った。 併し、京一は、それを聞いていなかった。彼は、何故か自分一人が・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・死生の際が人情の極致を発露する時なりとして詩歌に、小説に、美文に採用せられ、歌はれ、描かれ写されつゝあるは、通例の事に属す。独り国民を挙つて詩化し満目詩料ならざるなく、国民品性の極致を発露し口を開いて賛すべく、嘆すべく、歌ふべく、賦すべきの・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・居を跨いでこの経由を話すと、叔母の顔は見る見る恐ろしくなって、その塩鯖の※包む間も無く朝早く目が覚めると、平生の通り朝食の仕度にと掛ったが、その間々にそろりそろりと雁坂越の準備をはじめて、重たいほどに腫れた我が顔の心地悪しさをも苦にぜず、団・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・足はまた腫れ上りて、ひとあしごとに剣をふむごとし。苦しさ耐えがたけれど、銭はなくなる道なお遠し、勤という修行、忍と云う観念はこの時の入用なりと、歯を切ってすすむに、やがて草鞋のそこ抜けぬ。小石原にていよいよ堪え難きに、雨降り来り日暮るるにな・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・道は遠し懐中には一文も無し、足は斯の通り脚気で腫れて歩行も自由には出来かねる。情があらば助力して呉れ。頼む。斯う真実を顔にあらわして嘆願するのであった。「実は――まだ朝飯も食べませんような次第で。」 と、その男は附加して言った。・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・ 二 災害の来た一日はちょうど二百十日の前日で、東京では早朝からはげしい風雨を見ましたが、十時ごろになると空も青々とはれて、平和な初秋びよりになったとおもうと、午どきになって、とつぜんぐら/\/\とゆれ出したので・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・、清らなる一行の詩の作者、たそがれ、うなだれつつ街をよぎれば、家々の門口より、ほの白き乙女の影、走り寄りて桃金嬢の冠を捧ぐとか、真なるもの、美なるもの、兀鷹の怒、鳩の愛、四季を通じて五月の風、夕立ち、はれては青葉したたり、いずかたよりぞレモ・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ スワは空の青くはれた日だとその留守に蕈をさがしに出かけるのである。父親のこさえる炭は一俵で五六銭も儲けがあればいい方だったし、とてもそれだけではくらせないから、父親はスワに蕈を取らせて村へ持って行くことにしていた。 なめこというぬ・・・ 太宰治 「魚服記」
出典:青空文庫