・・・ リップスによれば、この際主観的制約を去って、客観的事実の制約にしたがい、すなわち、受験は自分のであり、火災は他人のであるということを離れ、どちらも自分のことであるとして考えて決めよというのだ。それなら火事を消すことをさきにするであろう・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・将校は、穴や白樺や、兵卒の幾分輝かしい顔色を意識しつゝ、なお、それ等から離れて、ほかの形而上的な考えを追おうとしている様子が見えた。 小川を渡って、乾草の堆積のかげから、三人の憲兵に追い立てられて、老人がぼつ/\やって来た。頭を垂れ、沈・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・くれたのでもあろうが、一つには平常同じような身分の出というところからごくごく両家が心安くし合い、また一つには若崎が多くは常に中村の原型によってこれを鋳ることをする芸術上の兄弟分のような関係から、自然と離れ難き仲になっていた故もあったろう。若・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・丁度その時は看守も雑役も、俺のいる監房から一番離れたのところにいるのだ。――俺はいきなり窓際にかけ寄ると、窓枠に両手をかけて力をこめ、ウンと一ふんばりして尻上りをした。そして鉄棒と鉄棒の間に顔を押しつけ、外へ向って叫んだ。「ロシア革命万・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・手前格別の意味もなかりしにふとその後俊雄の耳へ小春は野々宮大尽最愛の持物と聞えしよりさては小春も尾のある狐欺されたかと疑ぐるについぞこれまで覚えのない口舌法を実施し今あらためてお夏が好いたらしく土地を離れて恋風の福よしからお名ざしなればと口・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・慣れてみれば、よくそれでも不便とも思わずに暮らして来たようなものだ。離れて行こうとするに惜しいほどの周囲でもなかった。 実に些細なことから、私は今の家を住み憂く思うようになったのであるが、その底には、何かしら自分でも動かずにいられない心・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・また過去の私が経歴と言っても、十一二歳のころからすでに父母の手を離れて、専門教育に入るまでの間、すべてみずから世波と闘わざるを得ない境遇にいて、それから学窓の三四年が思いきった貧書生、学窓を出てからが生活難と世路難という順序であるから、切に・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・不思議な威力に駆られて、人間の世の狭い処を離れて、滾々として流れている大きい水の方へ進んだのである。 そこで老人はその幅広な背中を六人の知らない男の背後に見せて歩いているのである。六人の群は皆肩幅の広い男ばかりである。ただ老人よりはみな・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・廊下へ出て、のこのこ離れの方へ行ってみる。麓の家で方々に白木綿を織るのが轡虫が鳴くように聞える。廊下には草花の床が女帯ほどの幅で長く続いている。二三種の花が咲いている。水仙の一と株に花床が尽きて、低い階段を拾うと、そこが六畳の中二階である。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・スバーは、極く小さい子供の時から、神が何かの祟りのように自分を父の家にお遣しになったのを知っていたのでなみの人々から遠慮し、一人だけ離れて暮して行こうとしました。若し皆が、彼女のことをすっかり忘れ切って仕舞っても、スバーは、ちっとも其を辛い・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫