・・・ 悲壮な気持ちで、門を入ろうとすると、内部からがやがや人声がきこえました。 一足前、近所の人たちが、倒れている老人を連れてきたのです。 B医師は、すぐに老人に注射を打ちました。「気がついた。おじいさん泣かんでいい。ここは医者・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・行った気持には、悲壮なものがあった。彼等は、大学を捨てたばかりでなく、一切の都会的享楽から離れて、農村に走り、農奴と伍した。そして、自から耕牧して、彼等と共に、苦楽を分った。彼等の生活が正しいばかりでなく、愛するためには、身を以て殉ぜんとし・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・その方が悲壮だという気がしたのです。おきみ婆さんに打ち明けると、泣いて賛成してくれました。私もおおげさだったが、おきみ婆さんもおおげさだった。そのころ大宝寺小学校に尋常四年生の花組に漆山文子という畳屋町から通っている子がいて、芸者の子らしく・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ こうして、鶴さんとオトラ婆さんの隣同士のややこしい別居生活が始まって間もなく、サイパン島の悲愴なニュースが伝えられた。「やっぱし、飛行機だ。俺は今の会社をやめる」 と、突然照井がいいだした。そして、自分たちがニューギニアでまる・・・ 織田作之助 「電報」
・・・この苦労が新聞が終るまで、いや、小説を書いている限り、毎晩つづくのだと思うと、悲壮な気持にさえなるが、しかし、これほど苦労しても、結局どれほどの作品が出来るのかと考える方が、はるかに悲しい。作家はみな苦労し、努力し、工夫し、真剣に書いている・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・そのときの悲壮な気持を僕は今もよく覚えている。家は騒ぎ出した。人が飛んで来た。港の入口の暗礁へ一隻の駆逐艦が打つかって沈んでしまったのだ。鉄工所の人は小さなランチヘ波の凌ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向かった。しかし現場へ行って見・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・例の椀大のブリキ製の杯、というよりか常は汁椀に使用されているやつで、グイグイあおりながら、ある者は月琴を取り出して俗歌の曲を唄いかつ弾き、ある者は四竹でアメリカマーチの調子に浮かれ、ある者は悲壮な声を張り上げてロングサインを歌っている、中に・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・「どうです、一片の肉塊を艇内に残して海中に墜落したるものなり――なんという悲壮な最後だろう、僕は何度読んでも涙がこぼれる」 酔いが回って来たのか、それとも感慨に堪えぬのか、目を閉じてうつらうつらとして、体をゆすぶっている。おそらくこ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・という俗謡を長く引いてちょうど僕らが立っている橋の少し手前まで流して来たその俗謡の意と悲壮な声とがどんなに僕の情を動かしたろう。二十四、五かと思われる屈強な壮漢が手綱を牽いて僕らの方を見向きもしないで通ってゆくのを僕はじっとみつめていた。夕・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・たまに通る電車は町の空に悲壮な音を立てて、窪い谷の下にあるような私の家の四畳半の窓まで物すごく響けて来ていた。「家の内も、外も、嵐だ。」 と、私は自分に言った。 私が二階の部屋を太郎や次郎にあてがい、自分は階下へ降りて来て、玄関・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫