・・・かくて二人は一山の落ち葉燃え尽くるまで、つきぬ心を語りて黎明近くなりて西の空遠く帰りぬ。その次の夜もまた詩人は積みし落ち葉の一つを燃かしむれば、男星女星もまた空より下りて昨夜のごとく語りき。かくて土曜の夜まで、夜々詩人の庭より煙たち、夜ふく・・・ 国木田独歩 「星」
・・・いわゆる一山飛で一山来るとも云うべき景にて、眼忙しく心ひまなく、句も詩もなきも口惜しく、淀の川下りの弥次よりは遥かに劣れるも、さすがに弥次よりは高き情をもてる故なるべしとは負惜みなり。登米を過ぐる頃、女の児餅をうりに来る。いくらぞと問えば三・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・最後に暇乞をしようとした時、名所記類を一山授けた。ポルジイは頭痛に病みながら、これを調べたのであった。 さてこの一切の物を受け取って、前に立っている銀行員を、ポルジイ中尉は批評眼で暫く見て、余り感心しない様子で云った。「君も少し姿勢・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・「忍ヶ岡ハ其ノ東北ニ亘リ一山皆桜樹ニシテ、矗々タル松杉ハ翠ヲ交ヘ、不忍池ハ其ノ西南ヲ匝ル。満湖悉ク芙蓉ニシテ々タル楊柳ハ緑ヲ罩ム。雲山烟水実ニ双美ノ地ヲ占メ、雪花風月、優ニ四時ノ勝ヲ鍾ム。是ヲ東京上野公園トナス。其ノ勝景ハ既ニ多ク得ル事・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ただ俳句十七字の小天地に今までは辛うじて一山一水一草一木を写し出だししものを、同じ区劃のうちに変化極まりなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮写せんとするは難中の難に属す。俳句に人事的美を詠じたるもの少きゆえんなり。芭蕉、去来はむしろ天然に・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ そして、いろいろな本を一山ブドリに渡しました。ブドリは仕事のひまに片っぱしからそれを読みました。ことにその中の、クーボーという人の物の考え方を教えた本はおもしろかったので何べんも読みました。またその人が、イーハトーヴの市で一か月の学校・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・やっぱり、口かず少く、百匁五十五円のマグロ、一山十五円のカキの皿を眺めおろしているのであった。 そこ、ここにこうして市場まがいのものが出はじめた。そして、街頭は、人出が繁いのであるが、さて、今日地道な生活の人々はもう値段かまわぬ買物をし・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
・・・そもそものれんの発祥した庶民の暮しは、同じ荒っぽさに一きわむき出されているのだが、そういう生活の中では、一山いくらと札の立っている瀬戸物のなかからより出して来る茶碗が実にひどいものになっているという今日の情のこわい肌ざわりしかないのである。・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・五、六百円の金が一皿五円のおでんを食べて、一山十円の蜜柑を食べて、何ヵ月もつというのだろう。男達は自然に博奕を始めた。女子従業員にしても、食物の事情に変りはない。これまでの過度の労働から俄かに働かない生活がはじまり気分は散漫荒廃して、正しい・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・兎に角この一山を退治ることは当分御免を蒙りたいと思って、用箪笥の上へ移したのである。 書いたら長くなったが、これは一秒時間の事である。 隣の間では、本能的掃除の音が歇んで、唐紙が開いた。膳が出た。 木村は根芋の這入っている味噌汁・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫