・・・虱は温か味が伝わるに従って、皮膚をごそ/\とかけずりまわった。 もう暗かった。 五時。――北満の日暮は早やかった。経理室から配給された太い、白い、不透明なローソクは、棚の端に、二三滴のローを垂らして、その上に立てゝあった。殺伐な、無・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・時には畠の土を取って、それを自分の脚の弱い皮膚に擦り着けた。 塾の小使も高瀬には先生だった。音吉は見廻りに来て、鍬の持ち方から教えた。 毎日のように高瀬は塾の受持の時間を済まして置いて、家へ帰ればこの畠へ出た。ある日、音吉が馬鈴薯の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・それにはあの山椒魚の皮膚の色がたいへん役立っているようであります。かれが谷川の岩の下に静かに身を沈めていると、泥だか何だかさっぱりわからぬ。それでかれは、岩穴の出口のところに大きい頭を置いておきまして、深くものを思うておりますると、ヤマメが・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・顔の皮膚が蒼く荒んで、鼻が赤い。 私は無言で首肯いてベンチから立ち上り、郵便局備附けの硯箱のほうへ行く。貯金通帳と、払戻し用紙それから、ハンコと、三つを示され、そうして、「書いてくれや」と言われたら、あとは何も聞かずともわかる。「い・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・四十三にしてはふけて見える。皮膚は蒼白に黄味を帯び、髪は黒に灰色交じりの梳らない団塊である。額には皺、眼のまわりには疲労の線条を印している。しかし眼それ自身は磁石のように牽き付ける眼である。それは夢を見る人の眼であって、冷たい打算的なアカデ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・その層の一番どん底を潜って喘ぎ喘ぎ北進する汽車が横川駅を通過して碓氷峠の第一トンネルにかかるころには、もうこの異常高温層の表面近く浮かみ上がって、乗客はそろそろ海抜五百メートルの空気を皮膚に鼻にまた唇に感じはじめる。そうして頂上の峠の海抜九・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・動いて行く箱の中で腰の痛さに目が覚める。皮膚が垢だらけになったような気がする。いろいろな塵が髪と眼の中へ飛込む。すうすう風の這入って来る食堂車でまずい食事をする。それらは私にいわせると旅行と称する娯楽の嫌悪すべき序開である。先この急行列・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・手で身のうちを撫でて見ると膏と汗で湿っている。皮膚の上に冷たい指が触るのが、青大将にでも這われるように厭な気持である。ことによると今夜のうちに使でも来るかも知れん。 突然何者か表の雨戸を破れるほど叩く。そら来たと心臓が飛び上って肋の四枚・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・私は日々に憔悴し、血色が悪くなり、皮膚が老衰に澱んでしまった。私は自分の養生に注意し始めた。そして運動のための散歩の途中で、或る日偶然、私の風変りな旅行癖を満足させ得る、一つの新しい方法を発見した。私は医師の指定してくれた注意によって、毎日・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 掘鑿の中は、雪の皮膚を蹴破って大地がその黒い、岩の大腸を露出していた。その上を、悼むように、吹雪の色と和して、ダイナマイトの煙が去りやらず、匍いまわっていた。が、やがて、小林と秋山とが倒れている川上の、捲上小屋の方へ、風に送られて流れ・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
出典:青空文庫