・・・ 沼の表は、曇った空を映して腐屍の皮膚のように、重苦しく無気味に映って見えた。 やがて道は墓地の辺にまで、二人の姿を吹くように導いた。 墓地の入り口まで先頭の人影が来ると、吹き消したように消えてしまった。安岡は同時に路面へ倒れた・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・棺にも入れずに死骸許りを捨てるとなると、棺の窮屈という事は無くなるから其処は非常にいい様であるが、併し寐巻の上に経帷子位を着て山上の吹き曝しに棄てられては自分の様な皮膚の弱い者は、すぐに風を引いてしまうからいけない。それでチョイと思いついた・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ 此のしなやかなたよたよしい楓がそよりともしないと云うのは―― 若し指を触れたら温かい血行を感じ人間の皮膚の通りな弾力を感じるだろうと思う程「なまなましたふくらみ」を持って居る木は、私に植物と云うより寧ろどうしても動物――而かも人間・・・ 宮本百合子 「雨が降って居る」
・・・登場する人物は少数のイタリー指揮官と、銃を与えられて、整列すること、敬礼すること、同じ黒い皮膚を持った沙丘の彼方の土民を射撃することを正当化されているリビヤ土人の一隊である。人間再出発の重大なモメントである土民との接触の面は、この映画で軍事・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・ 私は、体じゅう俄に熱くなり、途方に暮れながら、被布の房を揺すって坐りなおした。筆を握ったが、先の方が変にくたくた他愛がなく、どんな風に動かしていいかわからない。正直にいえば、母が、どっちから、どう書き出したかも、余り珍しく熱心に気をと・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・正月で、自分はチリメンの袂のある被布をきせられていた。母が急に縁側へ出て槇の木の下に霜柱のたっている庭へ向い「バンザーイ! バンザーイ!」と両手を高く頭の上にあげ、叫んだ。声は鋭く、顔は蒼く、涙をこぼしている。自分はびっくりして泣きたくなり・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・炉の前にチンと座った祖母の紋八二重の黒い被布姿がふだんより上品に見える。どうしても年よりは被布に限ると思って私は傍から見て居る。 おともさんは又、もうこの四日に掛ると云う春興行を見たがって居る。「貧亡(してても芝居は見たいものと・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・―― わたしたち姉弟が、紺絣の筒袖に小倉の小さい袴をはいた男の児と、リボンをお下げの前髪に結んでメリンスの元禄袖の被布をきた少女で、誠之に通っていたころ、学校はどこもかしこも木造で、毎日数百の子供たちの麻裏草履でかけまわられる廊下も階段・・・ 宮本百合子 「藤棚」
・・・ 黒い紋羽二重の被布に、同じような頭巾をかぶったはつ子は、小さい眼を輝やかせて自分の恋愛談をした。「私のその青年との恋愛は、清田によって満されなかった美の感情がその人に向って迸ったとでも云いますか。――私自身始めっから、それは自覚し・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・おかっぱで、元禄の被布を着て、うめは器量の悪い娘ではなかったが、誰からも本当に可愛がられることのない娘であった。蒼白い顔色や、変にませた言葉づかいが、育たないうちにしなびた大人のような印象を与えた。年寄りの祖母に、遊び仲間もなく育てられてい・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫