・・・暗闇の中でも、笠井が眼をきょとんとさせて火傷の方の半面を平手で撫でまわしているのが想像された。そしてやがて腰を下して、今までの慌てかたにも似ず悠々と煙草入を出してマッチを擦った。折入って頼むといったのは小作一同の地主に対する苦情に就いてであ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 婆やはわあわあ泣く八っちゃんの脊中を、抱いたまま平手でそっとたたきながら、八っちゃんをなだめたり、僕に何んだか小言をいい続けていたが僕がどうしても詫ってやらなかったら、とうとう「それじゃよう御座んす。八っちゃんあとで婆やがお母さん・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・今ごろはあの子供の頭が大きな平手でぴしゃぴしゃはたき飛ばされているだろうと思うと、彼は知らず識らず眼をつぶって歯を食いしばって苦い顔をした。人通りがあるかないかも気にとめなかった。噛み合うように固く胸高に腕ぐみをして、上体をのめるほど前にか・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・レリヤは平手で膝を打って出来るだけ優しい声で呼んだ。それでも来ないので、自分が犬の方へ寄って来た。しかし迂濶に側までは来ない。人間の方でも噛まれてはならぬという虞があるから。「クサチュカ、どうもするのじゃないよ。お前は可哀い眼付をして居・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・と慌しく這身で追掛けて平手で横ざまにポンと払くと、ころりとかえるのを、こっちからも一ツ払いて、くるりとまわして、ちょいとすくい、「は、」 とかけ声でポンと口。「おや、御馳走様ねえ。」 三之助はぐッと呑んで、「ああ号外、」・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・角という大駒一枚落しても、大丈夫勝つ自信を持っていた坂田が、平手で二局とも惨敗したのである。 坂田の名文句として伝わる言葉に「銀が泣いている」というのがある。悪手として妙な所へ打たれた銀という駒銀が、進むに進めず、引くに引かれず、ああ悪・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・右の耳朶から頬にかけてぴしゃっと平手が命中した。私は泥のなかに両手をついた。とっさのうちに百姓の片脚をがぶと噛んだ。脚は固かった。路傍の白楊の杙であった。私は泥にうつぶして、いまこそおいおい声をたてて泣こう泣こうとあせったけれど、あわれ、一・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ 父親は平手をあげた。ぶちのめそうと思ったのである。しかし、もじもじと手をおろした。スワの気が立って来たのをとうから見抜いていたが、それもスワがそろそろ一人前のおんなになったからだな、と考えてそのときは堪忍してやったのであった。「そ・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・私は首筋を平手で叩いてみた。屋外は、凄いどしゃ降りだ。菅笠をかぶって洗面器をとりに風呂場へ行った。「先生お早うす。」 学校に近い部落の児が二人、井戸端で足を洗っていた。 二時間目の授業を終えて、職員室で湯を呑んで、ふと窓の外を見・・・ 太宰治 「新郎」
・・・ 太宰は右の頬を殴られた。平手で音高く殴られた。太宰は瞬間まったくの小児のような泣きべそを掻いたが、すぐ、どす黒い唇を引きしめて、傲然と頭をもたげた。私はふっと、太宰の顔を好きに思った。佐竹は眼をかるくつぶって眠ったふりをしていた。・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫