・・・ 一日分の灸治を終わって、さて平手でぱたぱたと背中をたたいたあとで、灸穴へ一つ一つ墨を塗る。ほてった皮膚に冷たい筆の先が点々と一抹の涼味を落として行くような気がする。これは化膿しないためだと言うが、墨汁の膠質粒子は外からはいる黴菌を食い・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・その際に、もしかこれが旧劇だと、例えば河内山宗俊のごとく慌てて仰山らしく高頬のほくろを平手で隠したりするような甚だ拙劣な、友達なら注意してやりたいと思うような挙動不審を犯すのであるが、ここはさすがに新劇であるだけに、そういう気の利かない失策・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・と独り言のように言いながら、ふと思い出した体にて、吾が膝頭を丁々と平手をたてに切って敲く。「脚気かな、脚気かな」 残る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちょと解しがたき話しの緒をたぐる。「女の夢は男の夢よりも美くしかろ」と男が云えば「せめて・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 圭さんは、何にも云わずに、平手で、自分の坊主頭をぴしゃぴしゃと二返叩いた。「頭か」「うん。相手も頭でくるから、こっちも頭で行くんだ」「相手は誰だい」「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴らさ」「うん」「社・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 赤シャツの農夫は馬に近よって頸を平手で叩こうとしました。 その時、向うの農夫室のうしろの雪の高みの上に立てられた高い柱の上の小さな鐘が、前后にゆれ出し音はカランカランカランカランとうつくしく雪を渡って来ました。今までじっと立ってい・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・ 白粉と安油の臭が、プーンとする薄い夜着に、持てあますほど、けったるい体をくるんで、寒そうに出した指先に反古を巻いて、小鼻から生え際のあたりをこすったり、平手で顔中を撫で廻したりして居たけれ共一人手に涙のにじむ様な淋しい、わびしい気持を・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 平手うちを一つ受けても倒れるようなかよわい少女たちが、武力と脅威に向って、正しいと思うところを主張しとおしたのも、彼女たちが一人でなかったからであった。一人でない力の強さを、おのずからはっきり知って行動したからであった。 ある季節・・・ 宮本百合子 「結集」
・・・ 作品の欠点や、チャチなところだけをつまみだして、パンパンパンと平手うちにやっつける批評ぶりは、本当のプロレタリア的批評ではない。溜飲はさがるかもしれないが弁証法的でないし、建設的でない。 大森義太郎氏の文学作品批評はきびきびしてい・・・ 宮本百合子 「こういう月評が欲しい」
・・・ 立ち止って、グルリと平手で五分苅頭を撫で、「――会いますか」 厭わしさと期待の混り合った感情が自分を包んだ。「会いましょう」 コンクリートの渡りを越え、警察の表建物に入ると、制服巡査が並んで、市民の為の事務をとっている・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・きのうは隣の家のひなをつついた、おとといはよその菜の葉を食いあらしておつけのみをなくなしたとあっちからもこっちからも苦情をもちこめられてごんぺいじいはいつでもはげた頭を平手で叩きながら人々に「まことにはー、相すまないわけで」と云って居た。鳥・・・ 宮本百合子 「三年前」
出典:青空文庫