・・・この哀れとおかしみとはもはや物象に対する自我の主観の感情ではなくて、認識された物の本情の風姿であり容貌である。換言すれば事物に投射された潜在的国民思想の影像である。思うにかのチェホフやチャプリンの泣き笑いといえどもこの点ではおそらく同様であ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・これは戯語でもなく諷刺でもない。窃に思うにわたくしの父と母とはわたくしを産んだことを後悔しておられたであろう。後悔しなければならないはずである。わたくしの如き子がいなかったなら、父母の晩年はなお一層幸福であったのであろう。 父と母とは自・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 唖々子は弱冠の頃式亭三馬の作と斎藤緑雨の文とを愛読し、他日二家にも劣らざる諷刺家たらんことを期していた人で、他人の文を見てその病弊を指してきするには頗る妙を得ていた。一葉女史の『たけくらべ』には「ぞかし」という語が幾個あるかと数え出し・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・親も代表しておらなければ、子も代表しておらない、夫子自身を代表している。否夫子自身である。 そうすると、人間というものはそういう風に二通りを代表している――というと語弊があるかも知れませんが――二通りになるでしょう。其処です其処です、そ・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・ 私が落語家から聞いた話の中にこんな諷刺的のがあります。――昔しあるお大名が二人目黒辺へ鷹狩に行って、所々方々を馳け廻った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離れ離れになって口腹を充たす糧を受ける事ができず、仕方な・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・論者その人の徳義薄くして、その言論演説、もって人を感動せしむるに足らざるか、夫子自から自主独立の旨を知らざるの罪なり。天下の風潮は、つとに開進の一方に向いて、自主独立の輿論はこれを動かすべからず。すでにその動かすべからざるを知らば、これにし・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・その意ではなかったのが、どうしても諷刺になって了った。「其面影」の時には生人形を拵えるというのが自分で付けた註文で、もともと人間を活かそうというのだから、自然、性格に重きを置いたんだが、今度の「平凡」と来ちゃ、人間そのものの性格なんざ眼・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・ それから何年経っただろう。次ぎに小熊さんに会ったのは一九三一年ごろで、小熊秀雄さんを、小説の部門に私を包括して、その文学の歴史の波が再び互を近づけたのであった。 諷刺詩人としての小熊秀雄氏が、その時代には成長の道程にあった。童話に・・・ 宮本百合子 「旭川から」
・・・エリカ・マンは、はじめ小論文や諷刺物語を書いて反ナチの闘争をはじめたが、一九三三年一月一日、ミュンヘンに「胡椒小屋」という政治的キャバレーをひらいて、おなじ名の諷刺劇を上演したり、娯楽と宣伝とをかねた政治的集会を催し、演劇的才能と行動性とを・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・には、上流社会ずきの中流人の諷刺がある。中流といっても「牡丹」に描かれたような日かげの、あわれはかない人々の人生の姿もある。「牡丹」は、駒沢の奥のひっそりした分譲地の借家に暮していたころ、その分譲地のいくつかの小道をへだてたところにある一つ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
出典:青空文庫