・・・それは頷ずけるが、教育あり、現代の社会に批判もある筈の人が、非常に不運な事情の廻り合わせで或る均衡を失い罪を犯し、獄中生活を経験した場合でさえ、その制度、内容について客観的な評言が世に与えられないのは何故であろう。自分の行為に対する引責――・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・『文芸』の当選作「運・不運」を読み、選評速記を熟読して、深くその感に打たれた。 三「運・不運」は、この作だけについて決定的なことを云われたら作者も困る作品だろうと思った。『文芸』の今回の選には満場一致のよう・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・ その上、わたしの不運は、同級生のなかに仕事をもってそれで生きて行こうとしている友達が殆ど一人もなかったことからも起った。自分で選んだ結婚をして、数年後、その生活が破れた。このことも友達たちの生活と一つ調子に進行しなかった。もっと都合の・・・ 宮本百合子 「歳月」
・・・四迷が「浮雲」を書いたのは明治二十年のことで、二十七歳の坪内逍遙先生が「小説神髄」をあらわし、「当世書生気質」を発表して「恰も鬼ケ島の宝物を満載して帰る桃太郎の船」のように世間から歓迎された二年後のことであった。三つ年下だった二葉亭はその頃・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・してもって逃げて来た金袋を減らしながら、思い出がたりで暮していたであろうお祖母さんオリガの、嘗てあった生活の幻を注ぎこまれて、中途半端な育ちかたをしたことは、ジャンにとって親を失ったより大きい客観的な不運である。地べたいじりがいやでたまらぬ・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・西村茂樹は明治二十年、二葉亭の「浮雲」の出た年に「日本道徳論」を著している。二十八年に「徳学講義」を著し、例えば同じころ「希臘二賢の語に就て」を書いたりしていた津田真道やその頃大いに活動していた中江兆民などとは、人生の見かたの方向に於ては対・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・――はる子は千鶴子を何と不運な人かと思った。彼女の不幸は内と外とからたたまって来るようだ。死んだ母という人も余り仕合わせそうでなく、気の毒に思う心持が沁み沁みあったが、はる子は手紙も供物も送らなかった。 追っかけて手紙が来た。母という人・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・二葉亭四迷は明治二十年に小説「浮雲」を書いて、当時硯友社派の戯作者気質のつよい日本文学に、驚異をもたらした人であった。硯友社の文学はその頃でも「洋装をした元禄小説」と評されていたのだが、そういう戯文的小説のなかへ、二葉亭四迷はロシア文学の影・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・ 髪のことで切ない思いをしたのは私ばかりでなく、女学校のとき、もう二人の不運な道づれがあった。私のはともかく自分の好きを立ててのことであったが、あとの二人は生れつきが如何にも豊かな髪で、それが不運の源であった。すこし前髪をゆるめたぐらい・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・戦災という言葉は戦争によってひきおこされた輪の外での災難を意味してつかわれているようだけれども、そして、なにか附随的な現象であり、それは、のがれたものとのがれられなかったものとは本人たちの運、不運にかかわることのようにうけとられているが、そ・・・ 宮本百合子 「世界の寡婦」
出典:青空文庫