・・・ ふき子にきつく窘められた。不幸な嫁入り先から戻って来てそのような暮しをしている岡本から見ればふき子も陽子も仕合わせすぎて腹立たしい事もあろう。陽子は、世界が違う気楽な若者と暗闘する岡本の気持がわかるような気がした。 彼等は皆で海岸・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ いろいろ下らん事で心配をかけてすまないとか、ほんとに不孝な子を持った因果とあきらめてくれ、などと涙声で云われると、却って栄蔵の方が、云い訳けをしたい様な気持になった。 十円といくらかの銭ほかない貧乏親父をこんなにたよりにして、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・一度妻を持って、不幸にして別れたが、平生何かの機会で衝突する度に、「あなたはわたしを茶かしてばかしいらっしゃる」と云うのが、その細君の非難の主なるものであった。 木村の心持には真剣も木刀もないのであるが、あらゆる為事に対する「遊び」の心・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・佐兵衛は「お前のような不孝者を、親父様に知らせずに留めて置く事は出来ぬ」と云った。亀蔵はすごすご深野屋の店を立ち去ったが、それを見たものが、「あれは紀州の亀蔵と云う男で、なんでも江戸で悪い事をして、逃げて来たのだろう」と評判した。 後に・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ ――何故にわれわれは、不幸を不幸と感じなければならないのであろう。 ――何故にわれわれは、葬礼を婚礼と感じてはいけないのであろう。 彼はあまりに苦しみ過ぎた。彼はあまりに悪運を引き過ぎた。彼はあまりに悲しみ過ぎた、が故に、彼は・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・そうしてこの表情のために愛するものたちを不幸にします。こういう時に私は彼らをいたわってやることも、彼らを喜ばせる事も、彼らとともに喜ぶこともできないのです。私の心は石のように固まって、ただ温められ融かされる事を望むばかりです。私にとっては一・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫