・・・用向きの繁劇なるがために、三日父子の間に言葉を交えざるは珍しきことにあらず。たまたまその言を聞けば、遽に子供の挙動を皮相してこれを叱咤するに過ぎず。然るに主人の口吻は常に家内安全を主とし質素正直を旨とし、その説教を聞けばすこぶる愚ならずして・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・その後、大槻玄沢、宇田川槐園等継起し、降りて天保弘化の際にいたり、宇田川榛斎父子、坪井信道、箕作阮甫、杉田成卿兄弟および緒方洪庵等、接踵輩出せり。この際や読書訳文の法、ようやく開け、諸家翻訳の書、陸続、世に出ずるといえども、おおむね和蘭の医・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序」とは、聖人の教にして、周公孔子のもって貴きゆえんなれども、我が輩は右の事実を記して、この聖教の行われたるところを発見すること能わざるものなり。 然りといえども、以上枚挙するところは十五年来の実際・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。父子・君臣・夫婦・朋友、たがいに相妨げずして、おのおのその持前の心を自由自在に行われしめ、我が心をもって他人の身体を制せず、おのおのその一身の独立をなさしむるときは、人の天然持前・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・れを聞て大に怒り、元来今回の挙は戦勝を期したるにあらず、ただ武門の習として一死以て二百五十年の恩に報るのみ、総督もし生を欲せば出でて降参せよ、我等は我等の武士道に斃れんのみとて憤戦止まらず、その中には父子諸共に切死したる人もありしという。・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 自分の夫の良吉にかくして小銭をためたり、息子の恭二と父子が出かけたあとは食事時の外大抵は、方々と話し歩いて居るお金が、たまらなく小憎らしかった。 みじかい袂に、袂糞と一緒くたに塩豆を入れたりして居る下等な姑から、こんな小言はききた・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・然し、愛だけはそうでなく、不死で、不滅で、同時に、或人の持つ総量に変ることないのを知った。 ○ 人間が、血縁の深さに惑わされ過ぎることを思う。いつか、人間の如何那関係に於ても、欠けると大変なのは、友情だと云う・・・ 宮本百合子 「傾く日」
・・・ 現在、私の心を満し、霊魂を輝やかせ、生活意識をより強大にしている愛は、本質に於て不死と普遍とを直覚させています。 けれども、若し、明日、彼を、冷たい、動かない死屍として見なければならなかったら、どうでしょう! 心が息を窒めてし・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・ 真の愛に跪拝するものが、どうして、不死の霊魂の栄を見ないで居られよう。 又如何うして、あらゆる幸福から虐げ追われた不幸な人々の魂の吐息に耳を傾けずに居られよう。 今、此の静安な夜の空の下に、深く眠る幸福な人々よ、 又、終夜・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・ 婆さんは、私の家に、金のなる木があって、私は不死の生をさずかって居るとでも思って居る様な口調で、スラスラと「何のこれしきの事」と云う調子で云う。「ほんにそうだのし。 浅黄の木綿の大風呂敷を斜に背負って居るお繁婆さん・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫