・・・俺の場合、それは運動不足からくるむくみでも何んでもなく、はじめて身体が当り前にかえって行くこの上もない健康からだった。 俺だちの仲間は、今でも刑務所へ行くことを「別荘行」と云っている。ドンな場合でも決して屈することのないプロレタリアの剛・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・坊やは、来年は四つになるのですが、栄養不足のせいか、または夫の酒毒のせいか、病毒のせいか、よその二つの子供よりも小さいくらいで、歩く足許さえおぼつかなく、言葉もウマウマとか、イヤイヤとかを言えるくらいが関の山で、脳が悪いのではないかとも思わ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ただ残念に思うのは、外国の多くの実例と比較したときに感ぜられる音楽の容量の乏しさと、高く力強く盛り上がって来るような加速的構成の不足である。もう一層の深い研究が望ましいと思われる。 主役のすみれ娘はオリジナルな愛嬌と頭脳の持主らしく随所・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・それより猶お女のつれないということが彼には当然のことなのでそれを格別不足に思うということはなくなって居たのである。女房とすら彼は余所目には打ち解けなかった。朝夕顔を見合わす間柄はそんなに追従いうことの出来ないのは当然である。だが其兄とさえ昵・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・影なれば果敢なき姿を鏡にのみ見て不足はなかろう。影ならずば?――時にはむらむらと起る一念に窓際に馳けよりて思うさま鏡の外なる世を見んと思い立つ事もある。シャロットの女の窓より眼を放つときはシャロットの女に呪いのかかる時である。シャロットの女・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 安岡は前夜の睡眠不足でひどく疲れていたので、自習をいいかげんに切り上げて早く床に入った。そして、妙な素振りをする深谷の来る前に眠っちまおうと決心した。「でなけりゃ、とてもやり切れない」 と思った。だが、そう思えば思うほど、なお・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・女子の方に適宜なれば男子の方は薬量の不足を感じ、男子に適量なりとすれば女子の服薬は適量にして必ず瞑眩せざるを得ず。女子は男子よりも親の教、忽にす可らず、気随ならしむ可らずとは、父母たる者は特に心を用いて女子の言行を取締め、之を温良恭謙に導く・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・そりゃ私の技倆が不足な故もあろうが、併しどんなに技倆が優れていたからって、真実の事は書ける筈がないよ。よし自分の頭には解っていても、それを口にし文にする時にはどうしても間違って来る、真実の事はなかなか出ない、髣髴として解るのは、各自の一生涯・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・国語の柔軟なる、冗長なるに飽きはてて簡勁なる、豪壮なる漢語もてわが不足を補いたり。先に其角一派が苦辛して失敗に終りし事業は蕪村によって容易に成就せられたり。衆人の攻撃も慮るところにあらず、美は簡単なりという古来の標準も棄てて顧みず、卓然とし・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・「なかなかいいようですが、少しかおりが不足ですな。」「雨の関係でしょうかな。」「そうです。しかしどうしてもアスパラガスには叶いませんな。」「へえ」「アスパラガスやちしゃのようなものが山野に自生するようにならないと産業もほ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
出典:青空文庫