・・・『双葉』という少女雑誌で僕の皿絵という小説がおめにふれたとすればと汗するおもいがしました。という人にあって聞きました。トラホームだの頸腺腫だのX彎曲だの、というくだりは、あなたに、いい、といわれたばかりに、どこへでも持って歩いていたのです。・・・ 太宰治 「虚構の春」
二、三年前の、都新聞の正月版に、私は横綱男女ノ川に就いて書いたが、ことしは横綱双葉山に就いて少し書きましょう。 私は、角力に就いては何も知らぬのであるが、それでも、横綱というものには無関心でない。或る正直な人から聞いた・・・ 太宰治 「横綱」
・・・後年世界を驚かした仕事はもうこの時から双葉を出し初めていたのである。 彼の公人としての生涯の望みは教員になる事であった。それでチューリヒのポリテキニクムの師範科のような部門へ入学して十七歳から二十一歳まで勉強した。卒業後彼をどこかの大学・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・二、三日するともう双葉が出て来た。あの小さな黒の粒の中からこんな美しいエメラルドのようなものが出て来た。 私はもう本ばかり読むのはやめてしばらく大根でも作ってみようかと考えている。・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・それからまた、現在の二葉屋のへんに「初音」という小さな汁粉屋があって、そこの御膳汁粉が「十二か月」のより自分にはうまかった。食うという事は知識欲とともに当時の最大の要事であったのである。 父に連れられてはじめて西洋料理というものを食った・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・立ち葵や朝顔などが小さな二葉のうちに捜し出されて抜かれるのにこの三種のものだけは、どういうわけか略奪を免れて勢いよく繁殖する。二三年の間にはすっかり一面に広がって、もうとても数人の子供の手にはおえないようになってしまった。これらの花が土地の・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・まだ巴里にあった頃わたくしは日本の一友人から、君は頻にフロオベルを愛読しているが、君の筆はむしろドーデを学ぶに適しているようだ、と忠告されたこともあった。二葉亭の『浮雲』や森先生の『雁』の如く深刻緻密に人物の感情性格を解剖する事は到底わたく・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ 何若か日時を延ばせば暫遅春花謝 暫く遅く春花謝せん花謝人絶レ踪 花謝し人踪を絶ちて羸驂始可レ跨 羸驂始めて跨る可し高樹緑陰敷 高き樹は緑の陰を敷き草嫩堪レ充レ茵 草は嫩く茵に充るに堪う・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・それでもあの崖はほんとうの嫩い緑や、灰いろの芽や、樺の木の青やずいぶん立派だ。佐藤箴がとなりに並んで歩いてるな。桜羽場がまた凝灰岩を拾ったな。頬がまっ赤で髪も赭いその小さな子供。雲がきれて陽が照るしもう雨は大丈夫だ。さっきも一遍云ったの・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・漱石は「二葉亭露西亜で結核になる。帰国の承諾を得た所経過宜しからず入院の由を聞く。気の毒千万也。大阪朝日十万円で社を新築すと素川よりきく。妻が寅彦の所へ餞別をもつて行く。シャツ、ヅボン下、鰻の罐詰、茶、海苔等なり。電話にて春陽堂へ『文学論評・・・ 宮本百合子 「含蓄ある歳月」
出典:青空文庫