・・・さもなければ忘れたように、ふっつり来なくなってしまったのは、――お蓮は白粉を刷いた片頬に、炭火の火照りを感じながら、いつか火箸を弄んでいる彼女自身を見出した。「金、金、金、――」 灰の上にはそう云う字が、何度も書かれたり消されたりし・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・なんだかせいせいとする、以来女はふっつりだ」「それじゃあ生涯ありつけまいぜ。源吉とやら、みずからは、とあの姫様が、言いそうもないからね」「罰があたらあ、あてこともない」「でも、あなたやあ、ときたらどうする」「正直なところ、わ・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・わけてもこの恐しい処へと、その後ふっつり。 しかしどうしてもどう見ても、母様にうつくしい五色の翼が生えちゃあいないから、またそうではなく、他にそんな人が居るのかも知れない、どうしても判然しないで疑われる。 雨も晴れたり、ちょうど石原・・・ 泉鏡花 「化鳥」
・・・網膜だけの感じになり、闇のなかの想像になり――ついにはその想像もふっつり断ち切れてしまった。そのとき私は『何処』というもののない闇に微かな戦慄を感じた。その闇のなかへ同じような絶望的な順序で消えてゆく私自身を想像し、言い知れぬ恐怖と情熱を覚・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・しかし、あの時、印刷所のおかみさんと千葉県が、も少し私に優しく、そうして静かに意見してくれたら、私はふっつりと詩三昧を思い切り、まじめな印刷工にかえっていまごろはかなりの印刷所のおやじになっていたのではなかろうかと、老いの愚痴でございましょ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・それは瞽女のお石がふっつりと村へ姿を見せなくなったからであった。彼がお石と馴染んだのは足かけもう二十年にもなる。秋のマチというと一度必ず隊伍を組んだ瞽女の群が村へ来る。其同勢のうちにお石は必ず居たのである。晩秋の収穫季になると何処でも村の社・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・私はそれで建築家になる事をふっつり思い止まりました。私の考は金をとって、門前市をなして、頑固で、変人で、というのでしたけれども、米山は私よりは大変えらいような気がした。二人くらべると私が如何にも小ぽけなように思われたので、今までの考をやめて・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・――古い表現で云えば、もうふっつり考えをかえましたのよ、とでもいうような印象であった。だから、カチューシャが、傷の中から芽生えた人間確信にたってネフリュードフと訣別し、最後に、自分たちの上にあったすべての過去の不幸と無智とに向って、さような・・・ 宮本百合子 「復活」
出典:青空文庫