・・・しかもその二階は図書室と学長室などがあって、太いズボンをつけた外山さんが、鍵をがちゃつかしながら、よく学長室に出入せられるのを見た。法文の教室は下だけで、間に合うていたのである。当時の選科生というものは、誠にみじめなものであった。無論、学校・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・死ぬが死ぬまで搾る太い奴等だと思ったんだ」「まあいいや。それは思い違いと言うもんだ」と、その男は風船玉の萎む時のように、張りを弛めた。「だが、何だってお前たちは、この女を素裸でこんな所に転がしとくんだい。それに又何だって見世物になん・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・否、無垢清浄のお七にそれほどの太い心がある訳はない。お七は必ず、家を焼いたのは悪い事をしたと感じたであろう。それならお七は、火を付けなかったら善かったと思うたろうか。固よりそんな事は思わぬ。人間世界の善悪が、善悪の外に立つ神の世界の恋に影響・・・ 正岡子規 「恋」
・・・ 歩哨は剣をかまえて、じっとそのまっしろな太い柱の、大きな屋根のある工事をにらみつけています。 それはだんだん大きくなるようです。だいいち輪廓のぼんやり白く光ってぶるぶるぶるぶるふるえていることでもわかります。 にわかにぱっと暗・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・Y、小走りで先へゆく荷車に追いついたと思うと両手に下げてた鞄と書類入鞄を後から繩をかけた荷物の間へ順々に放りあげ、ひょいと一本後に出てる太い棒へ横のりになった。尻尾の長い満州馬はいろんな形の荷物と皮外套を着たYとをのっけて、石ころ道を行く。・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・白い縫い模様のある襟飾りを着けて、糊で固めた緑色のフワフワした上衣で骨太い体躯を包んでいるから、ちょうど、空に漂う風船へ頭と両手両足をつけたように見える。 これらの仲間の中には繩の一端へ牝牛または犢をつけて牽いてゆくものもある。牛のすぐ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・傍には骨の太い、がっしりした行燈がある。燈心に花が咲いて薄暗くなった、橙黄色の火が、黎明の窓の明りと、等分に部屋を領している。夜具はもう夜具葛籠にしまってある。 障子の外に人のけはいがした。「申し。お宅から急用のお手紙が参りました」・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・手首の太いのや眼光のするどいのは全くそのためだろう。けれど今あからさまにその性質を言おうなら、なるほど忍藻はかなり武芸に達して、一度などは死にかかっている熊を生捕りにしたとて毎度自慢が出たから、心も十分猛々しいかと言うに全くそうでもない。そ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・すると、突然ナポレオンの腹の上で、彼の太い十本の指が固まった鉤のように動き出した。指は彼の寝巻を掻きむしった。彼の腹は白痴のような田虫を浮かべて寝衣の襟の中から現れた。彼の爪は再び迅速な速さで腹の頑癬を掻き始めた。頑癬からは白い脱皮がめくれ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・枝と、楽しそうに葉先をそろえた針葉と、――それに比べて地下の根は、戦い、もがき、苦しみ、精いっぱいの努力をつくしたように、枝から枝と分かれて、乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量よりも多いと思われる太い根細い根の無数をもって、一斉に大地に・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫