・・・ 富士を、白扇さかしまなど形容して、まるでお座敷芸にまるめてしまっているのが、不服なのである。富士は、熔岩の山である。あかつきの富士を見るがいい。こぶだらけの山肌が朝日を受けて、あかがね色に光っている。私は、かえって、そのような富士の姿・・・ 太宰治 「富士に就いて」
・・・父が駅長をしていても、そうしなければ、ならないのかなあ、そうかなあ、と断じて不服に思いながら、「それでは女中じゃないか。」「ええ。でも、――京都では、ゆいしょのあるご立派なお茶屋なんですって。」「あそびに行ってやるか。」「ぜ・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・はじめには負傷者の床の上で一枚の獣皮を頭から被って俯伏しになっているが、やがてぶるぶると大きくふるえ出す、やがてむっくり起上がって、まるで猛獣の吼えるような声を出したりまた不思議な嘯くような呼気音を立てたりする。この巫女の所作にもどこか我邦・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ 吉里は袖を顔に当てて俯伏し、眠てるのか眠てないのか、声をかけても返辞をせぬところを見ると、眠てるのであろうと思ッて、善吉はじッと見下した。 雪よりも白い領の美くしさ。ぽうッとしかも白粉を吹いたような耳朶の愛らしさ。匂うがごとき揉上・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 沢や婆は、不服気に仕舞い込んだ。「――柳田村だっけな、婆やの姪の家は――あすこまで大分有っぺえが――歩けるかい」「仙二さんが、荷車に乗せてってくれますってよ」 ……もう土間の隅では微に地虫が鳴いている。秋の日を眺めながら、・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・この場合、私たちの肉体が乱暴なつめこみにたいしてつねにいやさを感じるとおり、精神のラッシュにたいしてつよい不服を感じ抗議を抱いている。精神のラッシュにまぎれて、いかがわしい種々の操作が、今日では法律上の名目も失い、行政上の格式も失いながら、・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ 母親は、不服げに、十分意味はさとらず、然しぼんやりそれが何か不利を招くと直覚して黙り込む。だが、すぐ別のことから、同じ問題へ立ち戻る。 親たちの日常生活は勤労階級の生活でなく、母親は若い頃からの文学的欲求や生来の情熱を、自分独特の・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ けれども村の者達は、此の困難な往還に対して、何の不服も感じないのみか、却って、一種のよろこびさえも感じて居る。春の暖さが、地面の底から、しんしんとわき出して、永い冬の間中、いてついて、下駄の歯の折れそうになって居た土を、やわらげて行く・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・――感服したのではない。不服だった。大いに不服なのだが、この「転換時代」は非成功的作品にもかかわらず種々の発展的な問題を含んでいる。その問題の積極性が自分の注意を捕えた。 プロレタリア文学において、国際的主題はどう扱われるべきか。これが・・・ 宮本百合子 「プロレタリア文学における国際的主題について」
・・・と言って、両手で忠利の足を抱えたまま、床の背後に俯伏して、しばらく動かずにいた。そのとき長十郎の心のうちには、非常な難所を通って往き着かなくてはならぬ所へ往き着いたような、力の弛みと心の落着きとが満ちあふれて、そのほかのことは何も意識に上ら・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫