・・・ もうすっかり美しい娘になっていたお良は、女中の代りをさせるのではないが坂本さんは大切な人だからという登勢の言葉をきくまでなく、坂本の世話をしたがり、その後西国へ下った坂本がやがてまた寺田屋へふらりと顔を見せるたび、耳の附根まで赧くして・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ おしゃれな田島は、一昨年の冬、ふらりとこの美容室に立ち寄って、パーマネントをしてもらった事がある。そこの「先生」は、青木さんといって三十歳前後の、いわゆる戦争未亡人である。ひっかけるなどというのではなく、むしろ女のほうから田島について・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・そうして、来年の七夕にまたふらりと遊びに行き、やっぱり知らん振りして帰って来る。そうして、五、六年もそれを続けて、それからはじめて女に打ち明ける。毎年、僕の来る夜は、どんな夜だか知っていますか、七夕です、と笑いながら教えてやると、私も案外い・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・祖父は、若いときに一人でふらりと東京に出て来て半分政治家、半分商人のような何だか危かしいことをやって、まあ、紳商とでもいうのでしょうか、それでも、どうやら成功して、中年で牛込のこの屋敷を買い入れ、落ちつくことが出来たようです。嘘か、ほんとか・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・新聞の文芸欄で、愚痴といやみだけじゃないか、と嘲笑せられているようで、お気の毒に思っていますが、それもまたやむを得ない事で、今まで三十何年間、武術を怠り、精神に確固たる自信が無く、きょうは左あすは右、ふらりふらりと千鳥足の生活から、どんな文・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・太郎の眼のせいであった。ふらりふらり歩きながら太郎は美男というものの不思議を考えた。むかしむかしのよい男が、どうしていまでは間抜けているのだろう。そんな筈はないのじゃがのう。これはこれでよいのじゃないか。けれどもこのなぞなぞはむずかしく、隣・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 午後も三時過ぎてから、ふらりと郊外へ散歩に出る。行先さだめず歩みつづけて、いつか名も知らず方角もわからぬ町のはずれや、寂しい川のほとりで日が暮れる。遠くにちらつく燈火を目当に夜道を歩み、空腹に堪えかねて、見あたり次第、酒売る家に入り、・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・僕が書肆博文館から版権侵害の談判を受けて青くなっている最中、ふらりと僕の家にたずねて来て難題を提出したのはこのお民である。 お民が始て僕等の行馴れたカッフェーに給仕女の目見得に来たのは、去年の秋もまだ残暑のすっかりとは去りやらぬ頃であっ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・第十夜 庄太郎が女に攫われてから七日目の晩にふらりと帰って来て、急に熱が出てどっと、床に就いていると云って健さんが知らせに来た。 庄太郎は町内一の好男子で、至極善良な正直者である。ただ一つの道楽がある。パナマの帽子を被っ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・私たちが風にまかせ流れにまかせた一枚の落葉のように、ふらり、ふらりと日を暮すことでしょうか。決して、決して、そうではないと信じます。私たち一人一人が、自分のこころもちと行為とに責任をもって、正しいと思うことは正直に主張し、正しいと思うことを・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
出典:青空文庫