・・・ ある日のこと、古いひのきの木と、たかとが話をしたのであります。「いま、人間は、ひじょうな勢いで、いたるところで木を伐り倒している。いつ、この林の方へも押し寄せてくるかしれない。人間は、りこうかと思うと、一面は、ばかで、自分から火を・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・秋ももう深けて、木葉もメッキリ黄ばんだ十月の末、二日路の山越えをして、そこの国外れの海に臨んだ古い港町に入った時には、私は少しばかりの旅費もすっかり払きつくしてしまった。町へ着くには着いても、今夜からもう宿を取るべき宿銭もない。いや、午飯を・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 骨箱の中にコトリと音のしていた父の骨を納めて、ほっとしてお寺を出て、中ノ院の茶店へはいると、季節はずれの古いレコードが掛っていて、どうも場違いな感じでしたが、「今日も空には軽気球……」と歌っているその声を聴くともなく聴いていると、どう・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・思いがけなかった古い親戚の人たちもぼつぼつ集ってきた。村からは叔父と、叔母の息子とが汽車で来た。父の妹の息子で陸軍の看護長をしているという従弟とは十七八年ぶりで会った。九十二だというが血色といい肉づきといい、どこにも老衰の兆しの見えないよう・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・私の発見だったのである。噛まれるや否や、その下らない奴は、直ちに悲鳴をあげた。私の古い空想はその場で壊れてしまった。猫は耳を噛まれるのが一番痛いのである。悲鳴は最も微かなところからはじまる。だんだん強くするほど、だんだん強く鳴く。Cresc・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・新しく変わり、士族小路は古く変わるのが例であるが岩――もその通りで、町の方は新しい建物もでき、きらびやかな店もできて万、何となく今の世のさまにともなっているが、士族屋敷の方はその反対で、いたるところ、古い都の断礎のような者があって一種言うべ・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・その手は震い、その膝はわななきたり。げに寒き夜かな、いう歯の根も合わぬがごとし。炎は赤くその顔を照らしぬ。皺の深さよ。眼いたく凹み、その光は濁りて鈍し。 頭髪も髯も胡麻白にて塵にまみれ、鼻の先のみ赤く、頬は土色せり。哀れいずくの誰ぞや、・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・という古い言葉はその味わいをいったものであろう。 アメリカの映画俳優たちのように、夫婦の離合の常ないのはなるほど自由ではあろうが、夫婦生活の真味が味わえない以上は人生において、得をしているか、失っているかわからない。色情めいた恋愛の陶酔・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 炊事場は、古い腐った漬物の臭いがした。それにバターと、南京袋の臭いがまざった。 調理台で、牛蒡を切っていた吉永が、南京袋の前掛けをかけたまま入口へやって来た。 武石は、ぺーチカに白樺の薪を放りこんでいた。ぺーチカの中で、白樺の・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・昔から蟾蜍の鋳物は古い水滴などにもある。醜いものだが、雅はあるものだ。あれなら熔金の断れるおそれなどは少しも無くて済む。」 好意からの助言には相違無いが、若崎は侮辱されたように感じでもしたか、「いやですナア蟾蜍は。やっぱり鵞鳥で苦み・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
出典:青空文庫