一 今年の正月、私は一歩も外へ出なかった。訪ねて来る人もない。ラジオを掛けっ放しにしたまま、浮浪者の小説を書きながら三※日が済むと、はじめて外出し、三月振りに南へ出掛けた。レヴュの放送を聴いて、大阪劇場の・・・ 織田作之助 「神経」
・・・横堀の身なりを見た途端、もしかしたら浮浪者の仲間にはいって大阪駅あたりで野宿していたのではないかとピンと来て、もはや横堀は放浪小説を書きつづけて来た私の作中人物であった。 茶の間へ上って、電気焜炉のスイッチを入れると、横堀は思わずにじり・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ つまり、宿なし、失業者、浮浪者といった意味のルンペンとは、人間のボロ、人間の屑というわけであろう。 宿がないということは、屑であるということだ。それほど、宿なしは辛いのだ。 ところが、今、小沢はその辛さを痛切に味わねばならなか・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあっ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・十二歳ごろの時、浮浪少年とのかどで、しばらく監獄に飼われていたが、いろいろの身のためになるお話を聞かされた後、門から追い出された。それから三十いくつになるまで種々な労働に身を任して、やはり以前の浮浪生活を続けて来たのである。この冬に肺を病ん・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・特に年寄になったり金持になったりしたものには、骨董でも捻くってもらっているのが何より好い。不老若返り薬などを年寄に用いてもらって、若い者の邪魔をさせるなどは悪い洒落だ。老人には老人相応のオモチャを当がって、落ついて隅の方で高慢の顔をさせて置・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・それを朝から来ていて、終列車の出る頃まで、赤い帽子をかぶつた駅員が何度追ツ払おうが、又すぐしがみついてくる「浮浪者」の群れがある。雪が足駄の歯の下で、ギユンギユンなり、硝子が花模様に凍てつき、鉄物が指に吸いつくとき、彼等は真黒になつたメリヤ・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・彼女は六十の歳になって浮浪を始めたような自己の姿を胸に描かずにはいられなかった。しかし自分の長い結婚生活が結局女の破産に終ったとは考えたくなかった。小山から縁談があって嫁いで来た若い娘の日から、すくなくとも彼女の力に出来るだけのことは為たと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その中には、浮浪人もかなりたくさんいて、いろいろわるいことばかりするので、警察も急にいろいろのやかましい法令をつくり、ついで衛生上のことにもあれこれと手をつくし出した結果、恐水病をふせぐために、町中に、のら犬を歩かせないことにきめてしまいま・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・「上野の浮浪者を見に行きませんか?」「浮浪者?」「ええ、一緒の写真をとりたいのです。」「僕が、浮浪者と一緒の?」「そうです。」 と答えて、落ちついています。 なぜ、特に私を選んだのでしょう。太宰といえば、浮浪者。・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
出典:青空文庫