・・・このような原始的な器械にそんな分化があろうとは予期していなかった。どちらにしようかと思ってかわるがわる二つの鋏を取り上げてぐあいを見ながら考えていた。なるほど芝を刈るにはどうしても専用のものがぐあいがいいという事は自分にも明白に了解された。・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・政治法律経済といったようなものがいつのまにか科学やその応用としての工業産業と離れて分化するような傾向をとって来た。科学的な知識などは一つも持ち合わせなくても大政治家大法律家になれるし、大臣局長にも代議士にもなりうるという時代が到来した。科学・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・はこれまでの風景に比べて黄赤色が減じて白と黒とに分化している事に気がつく。これは白日の感じを出しているものと思われる。果物やばらのバックは新しいと思う。「初夏」の人物は昨年のより柔らかみが付け加わっている。私は「苺」の静物の平淡な味を好む。・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・ この事が哲学やその他文科方面の研究思索について真実である事はむしろよく知られた事であると思うが、理化学の方面でもやはりそうだという事はあまりよく知られていないようである。 四 ストウピンのセロの演奏を聞・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・ 科外講義としておもに文科の学生のために、朝七時から八時までオセロを講じていた。寒い時分であったと思うが、二階の窓から見ていると黒のオーバーにくるまった先生が正門から泳ぐような格好で急いではいって来るのを「やあ、来た来た」と言ってはやし・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 言葉がもう少し自由であったなら、そして自分がもし文科の学生ででもあったら、私はおそらく、もう少しケーベルさんに接近する機会が多かったかもしれない。 ケーベルさんがなくなった時に私は昔の事を思い出してせめて葬式にでも出たいような心持・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・こういうふうに、互いに相容れうる範囲内でのあらゆる段階に分化された諸相がこの狭小な国土の中に包括されているということはそれだけでもすでに意味の深いことである。たとえばあの厖大なアフリカ大陸のどの部分にこれだけの気候の多様な分化が認められるで・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・しかしたしか太田水穂氏も言われたように、万葉時代には物と我れとが分化し対立していなかった。この分化が起こった後に来る必然の結果は、他人の目で物を見る常套主義の弊風である。その一つの現象としては古典の玩弄、言語の遊戯がある。芭蕉はもう一ぺん万・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・同時にその言葉の内容が特殊な分化と限定を受ける。その分化され限定された内容が詩形に付随して伝統化し固定する傾向をもつのは自然の勢いである。さらばこそ万葉古今の語彙は大正昭和の今日それを短歌俳句に用いてもその内容において古来のそれとの連関を失・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
出典:青空文庫