・・・ 谷川徹三氏の文学平衡論は、現代日本における文化の分裂という点から現状を視て、作家の文化水準と大衆の文化水準との平衡が求められているのであるけれども、この提案に於ても、文学における大衆性と通俗性との重要な区別は、正面に押し出されていない・・・ 宮本百合子 「文学の大衆化論について」
・・・御者特有の横目で日本女が先ず片手にさげていた一つの新聞包みを蹴込みへのせ、それから自身車へのるのを見守り、弾機が平衡を得たところで、唇を鳴らし手綱をゆるめた。 冬凍った車道ですべらないようにモスクワの馬に、三つ歯どめの出た蹄鉄をつけてい・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
・・・しかしお肴が饂飩と来ては閉口する。お負にお講釈まで聞せられては溜まらない。」 主人はにやにや笑っている。「一体仏法なぞを攻撃しはじめたのは誰だろう。」「いや。説法さえ廃して貰われれば、僕も謗法はしない。だがね、君、独身生活を攻撃する・・・ 森鴎外 「独身」
・・・譬えて言えば、二人は最初遠く離れた並行線のように生活していたのに、一時その距離が逼り近づいて来て、今又近く離れた並行線のように生活することになったのである。 F君はドイツ語の教師をして暮す。私は役人をして、旁フランス語の稽古をして暮す。・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・こう思って壁と併行にそろそろ歩き出した。そして一番暗い隅の所へ近寄って来た時、やっと長椅子の空場所があった。そこへがっかりして腰を下した。じっと坐って、遠慮して足を伸ばそうともしないでいる。なんでも自分の腰を据えた右にも左にも人が寝ているら・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・すなわち情緒表現の道と並行して、純粋に写実に努力し、これまで閑却していたさまざまの自然の美を捕えるのである。宋画のある者に見られるような根強い写実は、決して情趣表現の動機から出たものではない。氏を浪漫的な弱さから連れ出すものは、おそらくこれ・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・ただ人を悩乱せしめるばかりでなく、大きい人生に包まれたる力というものの千種万様な現われを捕えて、形、釣り合い、あるいは美しい気分の平衡より来る喜悦、情熱を内心に押え貯うる時の幸福、そういうものを現わそう。もう破裂的な芸のみで満足する事はでき・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・真紅の紅蓮が艶めかし過ぎて閉口であるように、純粋の白蓮もまた冷たすぎ堅すぎておもしろくない。やはり白色に淡紅色のかかっているような普通の蓮の花が最も蓮の花らしいのである。 こうして蓮の花の群落めぐりをやっているうちにどれほどの時間が・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・ こんなふうにして不愉快な感じがいつまでも昂じて行くとすれば、閉口するのはほかならぬ私自身であって、東京ではない。これは困ったことになったと思っていると、幸いなことに東京の春がそれを救ってくれた。樹木に対して目をふさぐような気持ちで冬を・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫