・・・然しこの書は明治十年西南戦争の平定した後凱旋の兵士が除隊の命を待つ間一時谷中辺の寺院に宿泊していた事を記述し、それより根津駒込あたりの街の状況を説くこと頗精細である。是亦明治風俗史の一資料たることを失わない。殊に根津遊廓のことに関しては当時・・・ 永井荷風 「上野」
・・・かで、げじげじ、みみず、小蛇、地蟲、はさみ蟲、冬の住家に眠って居たさまざまな蟲けらは、朽ちた井戸側の間から、ぞろぞろ、ぬるぬる、うごめき出し、木枯の寒い風にのたうち廻って、その場に生白い腹を見せながら斃死ってしまうのも多かった。安は連れて来・・・ 永井荷風 「狐」
・・・櫓を環る三々五々の建物には厩もある。兵士の住居もある。乱を避くる領内の細民が隠るる場所もある。後ろは切岸に海の鳴る音を聞き、砕くる浪の花の上に舞い下りては舞い上る鴎を見る。前は牛を呑むアーチの暗き上より、石に響く扉を下して、刎橋を鉄鎖に引け・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・だが日本の兵士たちは、もっと勇敢で規律正しく、現実的な戦意に燃えていた。彼らは銃剣で敵を突き刺し、その辮髪をつかんで樹に巻きつけ、高粱畠の薄暮の空に、捕虜になった支那人の幻想を野曝しにした。殺される支那人たちは、笛のような悲声をあげて、いつ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・貴方は普通の兵士ですよ。戦争の時、死ぬ為に、平生から扶持を受けてる人達とは違ってよ。兄さん自分から好んで、』 強い咳払いを一つ、態と三つまで続けて、其女の方の言葉を紛らそうとしたのは、其兄上らしい三十近い兵士さんでした。それで、其兵士の・・・ 広津柳浪 「昇降場」
人物 バナナン大将。 特務曹長、 曹長、 兵士、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。場処 不明なるも劇中マルトン原と呼ばれたり。時 不明。幕あく。砲弾にて破損せる・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・士卒は兵士としての絶対の避くべからざる任務に服している。その間へ、銃をとって絶対に戦わなければならないでもない作家、一面には社と社との激烈な競争によって刺戟され、一面には報道陣の戦死としての矜りから死を突破しようとさえする従軍記者でもない作・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・また日本軍の兵士たちに対して。 一九四八年ごろから、日本におこっている平和と自由と独立のための広く大きい戦線は、十数年前の、この文化擁護の運動の経験から多くのものを学びとっている。こんにち、平和擁護と独立のために自身の立場をあきらかにし・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ あの痩せ衰え骸骨のようになったロシアの子供等が、往来に――恐らくこれも飢から――斃死した駄馬の周囲に蒼蠅のように群がって、我勝ちに屍肉を奪い合っている写真を見たら、恐らく一目で、反感の鬼や独善的な冷淡さは、影を潜めて仕舞うだろう。到底・・・ 宮本百合子 「アワァビット」
・・・土民を射撃することを正当化されているリビヤ土人の一隊である。人間再出発の重大なモメントである土民との接触の面は、この映画で軍事的なものの外は見落されている。土民兵士の日常生活、彼等の白い被衣をかぶった妻子たちとの暮しぶり等は一つも画面に取り・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
出典:青空文庫