・・・能く能く考えて見ると人というものは、平時においては軽微の程度におけるローマンチシズムの主張者で、或者を批評したり要求するに自己の力以上のものを以てしている。 一体人間の心は自分以上のものを、渇仰する根本的の要求を持っている、今日よりは明・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・行軍の時に、輜重・兵粮の事あり。平時にも、もとより会計簿記の事あり。その事務、千緒万端、いずれも皆、戦隊外の庶務にして、その大切なるは戦務の大切なるに異ならず、庶務と戦務と相互に助けて、はじめて海陸軍の全面を維持するは、あまねく人の知るとこ・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ さて、この立国立政府の公道を行わんとするに当り、平時に在ては差したる艱難もなしといえども、時勢の変遷に従て国の盛衰なきを得ず。その衰勢に及んではとても自家の地歩を維持するに足らず、廃滅の数すでに明なりといえども、なお万一の僥倖を期して・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ところが、そういう画面で日本の女を紹介する習慣をもっている日本が、平時から世界で一位二位を争うほど、婦人労働者によって生産を守られているという事実は、特に昨今何か新たな感動で私たち女の関心をひくことである。 各国の有業者の人口に対する比・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・ダディーは長野宇平治氏と話し、オーケストラは鳴る。 十一日 本田をたずねようとしてミルス・ホテルに行く番地をききに来る。ダディーはかえらず。自分は赤いスウェターを着る。ネクタイの先のほつれたのを縫ってあげる。 十二日 博物館・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・「仮装平時閲兵のために、暑気あたりに苦しんでそこに卒倒した不幸な若い婦人をそのまま放っておくほど、大英国の軍規はきびしいのだろうか」 すっきりとした初夏の服装で、大きめのハンド・バッグを左腕にかけ、婦人兵士の最後の列の閲兵を終ろうとして・・・ 宮本百合子 「権力の悲劇」
・・・然し、平時の生活はどうでもなりはしても、不時の災害の種々な場合を予想してそれを断行し得ない者が幾人あるか分りません。 自分が一旦宣言して、境遇から、或る人間の裡から去ったのに、どうして又病気になったからと云って、おめおめ尾を振って行かれ・・・ 宮本百合子 「ひしがれた女性と語る」
・・・しかし、下ると同時に野菜の出まわりは、平時の四割に減ってしまった。列に立つ女たちは、自分たちの列のどの場所でも、そのようにして素ばしこく姿をくらます野菜を堰きとめる可能はもっていない。 これから、時代は益々列をつくる方向に向っていると云・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
・・・女の数はごく少く、それも髪を乱し、裾をからげ、年齢に拘らず平時の嬌態などはさらりと忘れた真剣さである。武装を調えた第三十五連隊の歩兵、大きな電線の束と道具袋を肩にかけた工夫の大群。乗客がいつもの数十倍立てこんだ上、皆な気が立った者ばかりだか・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・ 応化橋の下で山岡大夫に出逢った母親と子供二人とは、女中姥竹が欠け損じた瓶子に湯をもらって帰るのを待ち受けて、大夫に連れられて宿を借りに往った。姥竹は不安らしい顔をしながらついて行った。大夫は街道を南へはいった松林の中の草の家に四人を留・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫