・・・また今戸橋の向岸には慶養寺という古寺があってここにも樹木が生茂っていたが、今はもう見られないので、震災前のむかしを知らない人たちには何の趣もない場末の道路としか見られないようになったのも尤である。平坦な道路は山谷堀の流に沿うて吉原の土手をも・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・あるものは他にいかほどの採るべき点があっても、事件に少しでも不自然があれば文学でないと云う。あるものは人間交渉の際卒然として起る際どき真味がなければ文学でないと云う。あるものは平淡なる写生文に事件の発展がないのを見て文学でないと云う。しかし・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・あの頃の事を思ってみれば、感情生活の本源まで溯って行く道がどんなにか平坦であっただろう。その恋しい昔の活きた証人ほど慕わしいものが世にあろうか。まだ人生と恋愛とが未来であった十七歳の青年の心持に、ただの二三十分間でもいいから戻ってみたい。あ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・○ベースボールに要するもの はおよそ千坪ばかりの平坦なる地面(芝生ならばなお善皮にて包みたる小球(直径二寸ばかりにして中は護謨、糸の類にて充実投者が投げたる球を打つべき木の棒(長さ四尺ばかりにして先の方やや太く手にて持つ処一尺四方ば・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・火野葦平が、文芸春秋に書いたビルマの戦線記事の中には、アメリカの空軍を報道員らしく揶揄しながら、日本の陸軍が何十年か前の平面的戦術を継承して兵站線の尾を蜒々と地上にひっぱり、しかもそれに加えて傷病兵の一群をまもり、さらに惨苦の行動を行ってい・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・歴史が現代のように強烈な動きを起している時代にあっては、生のよろこび、愛の成就そのものも単一平坦な道を通ることがむずかしくて、ある場合には殆ど耐えがたいような悲傷、痛心を耐え終せて、自分たちの愛を完うせざるを得ないような場合も殖えて来ている・・・ 宮本百合子 「世代の価値」
・・・ 日本における民主主義文学運動の過程はけっして平坦でありえないし、まして、会そのものと各会員の経済事情が逼迫していて、どうしても文学運動としての密度が分散させられがちです。各人の文学上の活動が既成ジャーナリズムのうちに散発します。このさ・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
人物旅人子供三人A 無邪気な晴れ晴れしい抑揚のある声の児B 実用的な平坦な動かない調子で話す児C 考え深い様な静かな声と身振りの児 場所小高い丘の上、四辺のからっと見はら・・・ 宮本百合子 「旅人(一幕)」
今年はどんな一年として私たちに経験されてゆくだろう。 世界の動き、日本の動きは微妙複雑な程度を増しこそすれ、決して単調平坦な明け暮れがあろうとは思われない。婦人の生活も、世界的な波動の中で更にそれぞれの国の特別な事情に・・・ 宮本百合子 「身についた可能の発見」
・・・なんにしろ、兵站にはあんまり御馳走のあったことはないからなあ。」 主人は短い笑声を漏らした。「君は酒と肉さえあれば満足しているのだから、風流だね。」「無論さ。大杯の酒に大塊の肉があれば、能事畢るね。これからまた遼陽へ帰って、会社のお・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫