・・・「三階か。」「へい、四階でございます。」と横に開いて揉手をする。「そいつは堪らんな、下座敷は無いか。――貴方はいかがです。」 途中で見た上阪の中途に、ばりばりと月に凍てた廻縁の総硝子。紅色の屋号の電燈が怪しき流星のごとき光を・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・「何だ、進藤延一、へい、変に学問をしたような、ハイカラな名じゃねえか。」 と言葉じりもしどろになって、頤を引込めたと思うと、おかしく悄気たも道理こそ。刑事と威した半纏着は、その実町内の若いもの、下塗の欣八と云う。これはまた学問をしな・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・「へい。」 とただ云ったばかり、素気なく口を引結んで、真直に立っている。「おお、源助か。」 その職員室真中の大卓子、向側の椅子に凭った先生は、縞の布子、小倉の袴、羽織は袖に白墨摺のあるのを背後の壁に遣放しに更紗の裏を捩ってぶ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・「ねえさん。」「へい。」「片原に、おっこち……こいつ、棚から牡丹餅ときこえるか。――恋人でもあったら言伝を頼まれようかね。」「いやだ、知りましねえよ、そんげなこと。」「ああ、自動車屋さん、御苦労です。ところで、料金だが、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・唯今、鼻紙で切りました骸骨を踊らせておりますんで、へい、」「何じゃ、骸骨が、踊を踊る。」 どたどたと立合の背に凭懸って、「手品か、うむ、手品を売りよるじゃな。」「へい、八通りばかり認めてござりやす、へい。」「うむ、八通り・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・姐さん……、境は少々居直って、どこか近所から取り寄せてもらえまいか。へいもう遅うござりますで、飲食店は寝ましたでな……飲食店だと言やあがる。はてな、停車場から、震えながら俥でくる途中、ついこの近まわりに、冷たい音して、川が流れて、橋がかかっ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・りく ほほほ、生やしていらっしゃるわ。白糸 また、それでも、違うと不可い。くらいでなし、ちゃんと、お年紀を伺いとうござんすね。りく へい。けげんな顔して引込むと、また窺いいたる、おその、と一所に笑い出して、二人ばたばたと・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・「御亭主、少し聞きたい事があるんだが。」「へい、お客様、何でござりますな。 氷見鯖の塩味、放生津鱈の善悪、糸魚川の流れ塩梅、五智の如来へ海豚が参詣を致しまする様子、その鳴声、もそっと遠くは、越後の八百八後家の因縁でも、信濃川の橋・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・あのさきへ矢羽根をつけると、掘立普請の斎が出るだね。へい、墓場の入口だ、地獄の門番……はて、飛んでもねえ、肉親のご新姐ござらっしゃる。」 と、泥でまぶしそうに、口の端を拳でおさえて、「――そのさ、担ぎ出しますに、石の直肌に縄を掛ける・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・人の恐ろしがる町へいってみたいものだ。己ばかりはけっして眠くなったとて、我慢をして眠りはしないと心に決めて、好奇心の誘うままに、その「眠い町」の方を指して歩いてきました。二 なるほどこの町にきてみると、それは人々のいったよう・・・ 小川未明 「眠い町」
出典:青空文庫