・・・九如の子は放蕩ものであったので、花柳の巷に大金を捨てて、家も段に悪くなった。そこへ付込んで廷珸は杜生に八百金を提供して、そして「御返金にならない場合でも御宅の窯鼎さえ御渡し下されば」ということをいって置いた。杜生はお坊さんで、廷珸の謀った通・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・彼女は旦那の生前に、自分がもっと旦那の酒の相手でもして、唄の一つも歌えるような女であったなら、旦那もあれほどの放蕩はしないで済んだろうか、と思い出して見た。おげんはこんなことも考えた。彼女と旦那の間に出来たお新は、幼い時分に二階の階段から落・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・またついせんだっても、僕がこんなに放蕩をやめないのもつまりは僕の身体がまだ放蕩に堪え得るからであろう。去勢されたような男にでもなれば僕は始めて一切の感覚的快楽をさけて、闘争への財政的扶助に専心できるのだ、と考えて、三日ばかり続けてP市の病院・・・ 太宰治 「葉」
・・・ これに反してもっとまじめで真剣なだけにいちばん罪の深い人間的な宣伝の場合と思われるのは、避くべからざる覊絆によって結ばれた集団の内部で、暗黙のうちに行なわれる、朋党の争いである。たとえば昔あったような姑と嫁の争いである。姑は「姑」を宣・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・変る夜ごとの枕に泣く売春婦の誠の心の悲しみは、親の慈悲妻の情を仇にしたその罪の恐しさに泣く放蕩児の身の上になって、初めて知り得るのである。「傾城に誠あるほど買ひもせず」と川柳子も已に名句を吐いている。珍々先生は生れ付きの旋毛曲り、親に見放さ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 腕車と肩輿と物は既に異っているが、昔も今も、放蕩の子のなすところに変りはない。蕩子のその醜行を蔽うに詩文の美を借来らん事を欲するのも古今また相同じである。揚州十年の痴夢より一覚する時、贏ち得るものは青楼薄倖の名より他には何物もない。病・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・あれも学才があって教師には至極だが、どうも放蕩をしてと云う事になるととうてい及第はできかねます。品行が方正でないというだけなら、まだしもだが、大に駄々羅遊びをして、二尺に余る料理屋のつけを懐中に呑んで、蹣跚として登校されるようでは、教場内の・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。すでに党派でない以上、我は我の行くべき・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・例の放蕩息子を迎えた父のように、いかなる愚人、いかなる罪人に対しても弥陀はただ汝のために我は粉骨砕身せりといって、これを迎えられるのが真宗の本旨である。『歎異抄』の中に上人が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけ・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・次第に彼は放蕩に身を持ちくずし、とうとう壮士芝居の一座に這入った。田舎廻りの舞台の上で、彼は玄武門の勇士を演じ、自分で原田重吉に扮装した。見物の人々は、彼の下手カスの芸を見ないで、実物の原田重吉が、実物の自分に扮して芝居をし、日清戦争の幕に・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
出典:青空文庫