・・・傾向ばかり見て感心するより、こういう感心のしかたのほうが、より合理的だと思っているから。○ほめられれば作家が必ずよろこぶと思うのは少し虫がいい。○批評家が作家に折紙をつけるばかりではない。作家も批評家へ折紙をつける。しかも作家のつけ・・・ 芥川竜之介 「校正後に」
・・・ 翁は思わず主人のほうへ、驚いた眼を転じました。「なぜまたそれがご不審なのです?」「いや、別に不審という訳ではないのですが、実は、――」 主人はほとんど処子のように、当惑そうな顔を赤めました。が、やっと寂しい微笑を洩すと、お・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・「費用は事務費で仕払ったのか……俺しのほうの支払いになっているのか」「事務費のほうに計上しましたが……」「矢部に断わったか」 監督は別に断わりはしなかった旨を答えた。父はそれには別に何も言わなかったが、黙ったまま鋭く眼を光ら・・・ 有島武郎 「親子」
・・・その次の家も起こすほうがいいと思ってぼくは次の家の門をたたいてまたどなった。その次にも行った。そして自分の家の方を見ると、さっきまで真暗だったのに、屋根の下の所あたりから火がちょろちょろと燃え出していた。ぱちぱちとたき火のような音も聞こえて・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・しかも彼らはまだまだ幸福なほうである。前にもいったごとく、彼らに何十倍、何百倍する多数の青年は、その教育を享ける権利を中途半端で奪われてしまうではないか。中途半端の教育はその人の一生を中途半端にする。彼らはじつにその生涯の勤勉努力をもってし・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・「ほ、ほう、しんびょう。」 ほくほくと頷いた。「きものも、灰塚の森の中で、古案山子を剥いだでしゅ。」「しんびょう、しんびょう……奇特なや、忰。……何、それで大怪我じゃと――何としたの。」「それでしゅ、それでしゅから、お願・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 爺さんはにこにこ笑いながら、予がなんというかと思ってか、予のほうを見ている。「おもしろい、おもしろい、もっとさきを話して聞かせろ。爺さん、ほんとにおもしろいよ」「そいからあなた、十里四方もあった甲斐の海が原になっていました。そ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・しかし、このほうは、珍しく、元気がよくて、幾つも同じような花を開きました。そのうえ、ほんとうになつかしい、いい香りがいたしました。 のぶ子は、青い花に、鼻をつけて、その香気をかいでいましたが、ふいに、飛び上がりました。「わたし、お姉・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・「そう言われるだろうと思って、大阪駅の浮浪者に、毛布だとか米だとかパンだとか、相当くれてやって来たんですよ」「ほう、そいつは殊勝だ」「もっとも市電がなかったので、背中の荷を軽くしなければ焼跡を歩いて帰れませんからね」「そんな・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・弘前の菩提寺で簡単な法要をすませたが、その席で伯母などからさんざん油をしぼられ、ほうほうの体で帰京した。その前後から自分は節制の気持を棄てた。その結果が、あと十日と差迫った因果の塊りと、なったというわけである。…… ああ、それにしても、・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫