・・・そうしてわが日本の、乞食坊主に類した一人の俳人芭蕉は、たったかな十七文字の中に、不可思議な自然と人間との交感に関する驚くべき実験の結果と、それによって得られた「発見」を叙述しているのである。 こういうふうに考えて来ると、ほとんどあらゆる・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 三月九日の火は、事によるとこの昔めいた坊主頭の年寄をも、廓と共に灰にしてしまったかも知れない。 栄子と共にその夜すみれの店で物を食べた踊子の中の一人はほどなく浅草を去って名古屋に、一人は札幌に行った話をきいた。栄子はその後万才なに・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何かというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主となり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よ・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・そして「恨み重なるチャンチャン坊主」が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿の綿入の満洲服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、辮髪の豚尾を背中に長くたらしていた。その辮髪は、・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ ゴム長靴の脛だけの部分、アラビアンナイトの粟粒のような活字で埋まった、表紙と本文の半分以上取れた英訳本。坊主の除れたフランスのセーラーの被る毛糸帽子。印度の何とか称する貴族で、デッキパッセンジャーとして、アメリカに哲学を研究に行くと云・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・都て是れ坊主の読むお経の文句を聞くが如く、其意味を問わずして其声を耳にするのみ、果して其意味を解釈するも事に益することなきは実際に明なる所にして、例えば和文和歌を講じて頗る巧なりと称する女学史流が、却て身辺の大事を忘却して自身の病に医を択ぶ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・○僕の国に坊主町という淋しい町があってそこに浅井先生という漢学の先生があった。その先生の処へ本読みに行く一人の子供の十余りなるがあったが、いつでもその家を出がけにそこの中庭へ庭一ぱいの大きな裸男を画いて置くのが常であった。それとも知・・・ 正岡子規 「画」
・・・そうだとすればおれは一層おもしろいのだ、まあそんな下らない話はやめろ、そんなことは昔の坊主どもの言うこった、見ろ、向うを雁が行くだろう、おれは仕止と従弟のかたは鉄砲を構えて、走って見えなくなりました。 須利耶さまは、その大きな黒い雁の列・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・カマがおりてきて坊主と富農の頸をひっかく。 見物は大喜びだ。子供は、デモについてそれをどこまでも追っかけて見ようとする。 大人は拍手を送る。 かついでいる当人のコムソモールも大いにこの人気は満足らしい。大ニコニコで、盛んに社会的・・・ 宮本百合子 「インターナショナルとともに」
・・・これでは旅立ちの日を延ばさなくてはなるまいかと言って、女房と相談していると、そこへ小女が来て、「只今ご門の前へ乞食坊主がまいりまして、ご主人にお目にかかりたいと申しますがいかがいたしましょう」と言った。「ふん、坊主か」と言って閭はしばら・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
出典:青空文庫