・・・も頭部である。梵語 tman は「精神」であり「自己」である。「たま」は top に通じる。 敵の首級を獲ることを「しるしをあげる」と言う。「しるし」が頭のことだとすると、これは梵語の siras、sirshamに似ている。 八頭の・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・悪業というは、悪は悪いじゃ、業とは梵語でカルマというて、すべて過去になしたることのまだ報となってあらわれぬを業という、善業悪業あるじゃ。ここでは悪業という。その事柄を次にあげなされたじゃ。或は夜陰を以て、小禽の家に至ると。みなの衆、他人事で・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・で特別にそう云う方面の研究をしていたのでないから、秀麿は一歩一歩非常な困難に撞著して、どうしてもこれはサンスクリットをまるで知らないでは、正確な判断は下されないと考えて、急に高楠博士の所へ駈け附けて、梵語研究の手ほどきをして貰った。しかしこ・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫