・・・只頭がぼんやりしていないだけだ。極頑固な、極篤実な、敬神家や道学先生と、なんの択ぶところもない。只頭がごつごつしていないだけだ。ねえ、君、この位安全な、危険でない思想はないじゃないか。神が事実でない。義務が事実でない。これはどうしても今日に・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ ツァウォツキイはぼんやり戸の外に立っている。刹那に発した怒りは刹那に消え去って、ツァウォツキイはもう我子を打ったことをひどく恥ずかしく思っている。 ツァウォツキイは間の悪げにあたりを見廻した。そして小刀で刺した心の臓の痛み出すのを・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・暫くすると、灸の頭の中へ女の子の赤い着物がぼんやりと浮んで来た。そのままいつの間にか彼は眠ってしまった。 翌朝灸はいつもより早く起きて来た。雨はまだ降っていた。家々の屋根は寒そうに濡れていた。鶏は庭の隅に塊っていた。 灸は起きると直・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・ その晩十時過ぎに、もう内中のものが寐てしまってから、己は物案じをしながら、薄暗い庭を歩いて、凪いだ海の鈍い波の音を、ぼんやりして聞いていた。その時己の目に明りが見えた。それはエルリングの家から射していたのである。 己は直ぐにその明・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・ フィンクは暫くぼんやり立っていた。そしてこう思った。なるほどどこにもかしこにも、もう人が寝ているのだな。こう思って壁と併行にそろそろ歩き出した。そして一番暗い隅の所へ近寄って来た時、やっと長椅子の空場所があった。そこへがっかりして腰を・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・丁度そういうように、ぼんやりおぼえてるあの時分のことを考うれば考えるほど、色々新しいことを思出して、今そこに見えたり聞えたりするような心持がします。いつかフト子供心に浮んだことを、たわいなく「アノ坊なんぞも、若さまのように可愛らしくなりたい・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・メエテルリンクは好きですけれど、少しぼんやりしているようですね。――私の試みは失敗でした。何を言ってもサルドゥやピネロを演らなければならないのですもの。いつか若い美しい火のような焔のような女が来て私の夢みていたことをやってくれるでしょう・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫