・・・うのこうのと、もったい振っても、それは噴飯ものでございましょうし、また、私のようなものでも顔を出して何やら文化に就いて一席うかがいますと、それでどうやら四方八方が円満に治るのだから是非どうぞ、と頼まれますると、私といたしましても、この老骨が・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・こおろぎや蜘蛛や蟻やその他名も知らない昆虫の繁華な都が、虫の目から見たら天を摩するような緑色の尖塔の林の下に発展していた。 この動植物の新世代の活動している舞台は、また人間の新世代に対しても無尽蔵な驚異と歓喜の材料を提供した。子供らはよ・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・海の中にもぐった時に聞こえる波打ちぎわの砂利の相摩する音や、火山の火口の奥から聞こえて来る釜のたぎるような音なども思い出す。もしや獅子や虎でも同じような音を立てるものだったら、この音はいっそう不思議なものでありそうである。それが聞いてみたい・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ さて一方文学を攷察して見まするにこれを大別してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きましたが、後者のナチュラリズムは自然派と称しております。この両者を前に申・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・と附添の一人が気遣わしげにいうと、穏坊は相変らず澄ました調子で「すぐ焼けてしまいまする」などといっておる。火に照らされている穏坊の顔は鬼かとも思うように赤く輝いでいる。こんな物凄い光景を想像して見ると何かの小説にあるような感じがして稍興に乗・・・ 正岡子規 「死後」
・・・こんど貝の火がお前さまに参られましたそうで実に祝着に存じまする。あの玉がこの前獣の方に参りましてからもう千二百年たっていると申しまする。いや、実に私めも今朝そのおはなしを承わりまして、涙を流してござります」馬はボロボロ泣きだしました。 ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・最初のものは、もはや地面に達しまする。それは白い鬚の老人で、倒れて燃えながら、骨立った両手を合せ、須利耶さまを拝むようにして、切なく叫びますのには、(須利耶さま、須利耶さま、おねがいでございます。どうか私の孫をお連 もちろん須利耶さ・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・「ここはどこでござりまするな。」と云いながらめくらのかげろうが杖をついてやって参りました。「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云いました。 かげろうはやれやれというように、巣へ腰をかけました。蜘蛛は走って・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・「それはまたどうしたことでござりまする。ちょっとやつがれまでお申し聞けになりとう存じます」「いいよ、お前はだまっておいで」 シグナルは高く叫びました。しかしシグナルも、もうだまってしまいました。雲がだんだん薄くなって柔らかな陽が・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・神様、もう木になれまするか。 死にそうな哀な小鳥はきくと、悪魔は大声あげて笑いながら、いずれそのうちにはなるじゃろう木の芽生えの肥料に―― と申いた時小鳥は枝からころげ落ちて地面にポッカリあいて居った悪魔・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
出典:青空文庫