・・・攻撃の速度を急ぐ相懸り将棋の理論を一応完成していた東京棋師の代表である木村を向うにまわして、二手損を以て戦うのは、何としても無理であった。果してこの端の歩突きがたたって、坂田は惨敗した。が、続く対花田戦でも、坂田はやはり第一手に端の歩を突い・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・というからには、あくまで善は急ぐべしと、早速おかね婆さんを連れて、三人で南河内の狭山へ出掛けた。 寺院に掛け合って、断られたので、商人宿の一番広い部屋を二つ借り受け、襖を外して、ぶっ通しの広間をつくり、それを会場にした。それから、「仁寄・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 夕暮近いので、街はひとしおの雑踏を極め、鉄道馬車の往来、人車の東西に駈けぬける車輪の音、途を急ぐ人足の響きなど、あたりは騒然紛然としていた。この騒がしい場所の騒がしい時にかの男は悠然と尺八を吹いていたのである。それであるから、自分の目・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 但し富岡老人に話されるには余程よき機会を見て貰いたい、無暗に急ぐと却て失敗する、この辺は貴所に於て決して遺漏はないと信ずるが、元来老先生といえども人並の性情を有っておるから了解ることは能く了解る人である。ただその資質に一点我慢強いとこ・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・「結婚を急ぐな」と私はいいたい。二十五歳までの青年学生が何をあわてることがあろう。美しき娘たちは後から星の数ほどむらがり、チャンスはみちみちている。あまり早期に同じ年ごろの女性と恋愛し、結婚の約束をしてしまうことは、後にいたってあまり好結果・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・この荷物は急ぐんだぞ。これ、こんな催促の手紙が来とるんだぞ!」 朝、深沢洋行のおやじは、ねむげな眼に眼糞をつけて支那人部屋にはいってきた。呉清輝と田川とは、傷の痛さに唸りながら、半ば、うつらうつらしつつ寝台に横たわっていた。おやじは、い・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・「急ぐんだ、爺さんはいないか。」「おはいり。」 女は、居るというしるしに、うなずいて見せて、自分の身を脇の箱を置いてある方へそらし、ウォルコフが通る道をあけた。「どうした、どうした。また××の犬どもがやって来やがったか。」・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ わたくしは、かならずしもしいて死を急ぐ者ではない。生きられるだけは生きて、内には生をたのしみ、生を味わい、外には世益をはかるのが当然だと思う。さりとてまた、いやしくも生をむさぼろうとする心もない。病死と横死と刑死とを問わず、死すべきの・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 私は必しも強いて死を急ぐ者ではない、生きられるだけは生きて、内には生を楽しみ、生を味わい、外には世益を図るのが当然だと思う、左りとて又た苟くも生を貪らんとする心もない、病死と横死と刑死とを問わず、死すべきの時一たび来らば、十分の安心と・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 自分もそれなり降りて花床を跨ぐ。はかなげに咲き残った、何とかいう花に裾が触れて、花弁の白いのがはらはらと散る。庭は一面に裏枯れた芝生である。離れの中二階の横に松が一叢生えている。女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫