・・・ 自然というものをむきつけにまのあたりに見るような気がして自分はいよいよはげしい疲れを感ぜざるを得なかった。 朝三時 さあ行こうと中原が言う。行こうと返事をして手袋をはめているうちに中原はもう歩きだした。そうして・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・燕はまだこんなりっぱなかたからまのあたりお声をかけられた事がないのでほくほく喜びながら、「それはお安い御用です。なんでもいたしますからごえんりょなくおおせつけてくださいまし」と申し上げました。 王子はしばらく考えておられましたがやが・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・瓔珞の珠の中にひとえに白き御胸を、来よとや幽に打寛ろげたまえる、気高く、優しく、かしこくも妙に美しき御姿、いつも、まのあたりに見参らす。 今思出でつと言うにはあらねど、世にも慕わしくなつかしきままに、余所にては同じ御堂のまたあらんとも覚・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 枕に沈める横顔の、あわれに、貴く、うつくしく、気だかく、清き芙蓉の花片、香の煙に消ゆよとばかり、亡き母上のおもかげをば、まのあたり見る心地しつ。いまはハヤ何をかいわむ。「母上。」 と、ミリヤアドの枕の許に僵れふして、胸に縋りて・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ 仏蘭西の港で顔を見たより、瑞西の山で出会ったのより、思掛けなさはあまりであったが――ここに古寺の観世音の前に、紅白の絹に添えた扇子の名は、築地の黒塀を隔てた時のようではない。まのあたりその人に逢ったようで、単衣の袖も寒いほど、しみじみ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ これと同じ悲哀を、まのあたりに見るからです。曾て自から高しとしたにかゝわらず、いまや、脆くも、その誇りを捨て、ジャナリズムに追従せんと苦心する文筆家が、即ちそれであるが、文章に、自然なところがなく、また明朗さがなく、風格がなく、何等個・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・私は深い絶望をまのあたりに見なければならなかったのである。何という錯誤だろう! 私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の絶望を背負ってい・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・傾いた冬の日が窓のそとのまのあたりを幻燈のように写し出している、その毎日であった。そしてその不思議な日射しはだんだんすべてのものが仮象にしか過ぎないということや、仮象であるゆえ精神的な美しさに染められているのだということを露骨にして来るのだ・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・丹灯籠となん呼做したる仮作譚を速記という法を用いてそのまゝに謄写しとりて草紙となしたるを見侍るに通篇俚言俗語の語のみを用いてさまで華あるものとも覚えぬものから句ごとに文ごとにうたゝ活動する趣ありて宛然まのあたり萩原某に面合わするが如く阿露の・・・ 著:坪内逍遥 校訂:鈴木行三 「怪談牡丹灯籠」
・・・長い筆の先に粘い絵の具をこねるときの特殊な触感もさらに強く二十余年前の印象を盛り返して、その当時の自分の室から庭の光景や、ほとんど忘れかかった人々の顔をまのあたりに見るような気がした。 まず手近な盆栽や菓子やコップなどと手当たり次第にか・・・ 寺田寅彦 「自画像」
出典:青空文庫