・・・ 上野の始て公園地となされたのは看雨隠士なる人の著した東京地理沿革誌に従えば明治六年某月である。明治十年に至って始て内国勧業博覧会がこの公園に開催せられた。当時上野なる新公園の状況を記述するもの箕作秋坪の戯著小西湖佳話にまさるものはある・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 江戸のむかし、吉原の曲輪がその全盛の面影を留めたのは山東京伝の著作と浮世絵とであった。明治時代の吉原とその附近の町との情景は、一葉女史の『たけくらべ』、広津柳浪の『今戸心中』、泉鏡花の『註文帳』の如き小説に、滅び行く最後の面影を残した・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ たださえ京は淋しい所である。原に真葛、川に加茂、山に比叡と愛宕と鞍馬、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・ 少時前報ッたのは、角海老の大時計の十二時である。京町には素見客の影も跡を絶ち、角町には夜を警めの鉄棒の音も聞える。里の市が流して行く笛の音が長く尻を引いて、張店にもやや雑談の途断れる時分となッた。 廊下には上草履の音がさびれ、台の・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
汽笛一声京城を後にして五十三亭一日に見尽すとも水村山郭の絶風光は雲煙過眼よりも脆く写真屋の看板に名所古跡を見るよりもなおはかなく一瞥の後また跡かたを留めず。誰かはこれを指して旅という。かかる旅は夢と異なるなきなり。出ずるに・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・出べくとして出ずなりぬ梅の宿菜の花や月は東に日は西に裏門の寺に逢著す蓬かな山彦の南はいづち春の暮月に対す君に投網の水煙掛香や唖の娘の人となり鮓を圧す石上に詩を題すべく夏山や京尽し飛ぶ鷺一つ浅川の西し東す若葉か・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・孫文派が広東政府を樹立し、中国国民党宣言を発表した。京漢鉄道総工会の成立大会を武力解散させた軍閥呉佩孚に対して中国労働者がジェネストを起し、英国の労働運動に一つのエポックをつくった。今日三百万の党員をもち中国人口の三五パーセントを解放地区に・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・天宝以来西の京の長安には太清宮があり、東の京の洛陽には太微宮があった。その外都会ごとに紫極宮があって、どこでも日を定めて厳かな祭が行われるのであった。長安には太清宮の下に許多の楼観がある。道教に観があるのは、仏教に寺があるのと同じ事で、寺に・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・初めて私がランプを見たのは、六つの時、雪の降る夜、紫色の縮緬のお高祖頭巾を冠った母につれられて、東京から伊賀の山中の柘植という田舎町へ帰ったときであった。そこは伯母の家で、竹筒を立てた先端に、ニッケル製の油壺を置いたランプが数台部屋の隅に並・・・ 横光利一 「洋灯」
五、六年前のことと記憶する。ある夜自分は木下杢太郎と、東京停車場のそのころ開かれてまだ間のない待合室で、深い腰掛けに身を埋めて永い間論じ合った。何を論じたかは忘れたが、熱心に論じ合った。二人の意見がなかなか近寄って来なかった。そこを出・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫