・・・各自の部署につき、良好な有力な拡声機によって安全なる避難路が指示され、群集は落ち着き払ってその号令に耳をすまして静かに行動を起こし、そうして階段通路をその幅員尺度に応じて二列三列あるいは五列等の隊伍を乱すことなく、また一定度以上の歩調を越す・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・ 電車で逢った背広服の老子のどの言葉を国定教科書の中に入れていけないといういわれを見出すことが出来なかった。日本魂を腐蝕する毒素の代りにそれを現代に活かす霊液でも、捜せばこの智恵の泉の底から湧き出すかもしれない。 電車で逢った老子は・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ ついでながら、人間のする大概の所業は動物界にもその原型を見出すことが出来るが、ただ「煙」をこしらえてそれを吸うという芸当だけは全く人間だけに限るようである。それでこの最も人間的な人間固有の享楽と慰安に資料を供給する専売局の仕事はこ・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・ ともかくも西鶴の知識慾の旺盛であった事は上述の諸項からも知られるが、しかし西鶴の知識慾の向けられた対象を、例えば馬琴のそれと比較してみるとそこに興味ある差違を見出すことが出来るであろう。 江戸時代随一の物知り男曲亭馬琴の博覧強記と・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・またある時間内に降れる雨滴の大きさを験する時は、その大きさの公算曲線には数箇の山を見出すべし。これらの場合を総括するに、いずれもかつてポアンカレーの述べしごとく「原因の微分的変化が結果の有限変化を生ずる場合」に当るを見る。自然現象予報の可能・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・昔ミダス王の理髪師がささやいた秘密を蘆の葉が再びささやいたように、今この芝の葉の一つ一つが、昔だれかに聞いた事を今私にささやいているのかもしれない。 たとえば私は自分で芝を刈る事によって、植木屋の賃銀を奪っているのではないかという問題に・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・ジャーナリズムの指はミダスの指のように触れる限りのものを金に化することもあり、反対に金もダイアモンドもことごとく石塊とすることもある。キルケのごとくすべての人間を動物に化することもあるが、また反対にとんでもない食わせものの与太者を大人物に変・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・天然の設計による平衡を乱す前にはよほどよく考えてかからないと危険なものである。 十一 毛ぎらい 子供の時から毛虫や芋虫がきらいであった。畑で零余子を採っていると突然大きな芋虫が目について頭から爪先までしびれ上がったと・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・帽子を脱ぐと髪の毛を吹き乱す。やっとベデカの図を開いてパリじゅうを見おろす。塔の頂の洗いさらされた石材には貝がらの化石が一面についている。寺の歴史やパリの歴史もおもしろいが、この太古の貝がらの歴史も私にはおもしろい。屋根のトタンにも石にも一・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・しかしともかくも芸術家のうちで自然そのものを直接に見て何物かを見出そうという人があれば、その根本の態度や採るべき方法には自ずから科学者と共通点を見出す事が出来てもよい訳である。 新しい目で自然を見るという事は存外六かしい事である。吾人は・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
出典:青空文庫