・・・ 人形そのものの形態は、すでにたびたび実物を展覧会などで見たりあるいは写真で見たりして一通りは知っていたのであるが、人形芝居の舞台装置のことについては全く何事も知らなかったので、まず何よりもその点が自分の好奇的な注意をひいた。まず鴨居か・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・自分の子供などでもだれも実物を見たことはないらしい。産業博物館とでもいうものがあれば、そういう所に参考品として陳列されるべきものかもしれない。 祖母の使っていた糸車はその当時でもすっかり深く媒色に染まったいかにも古めかしいものであった。・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ このようにしてできた設計が完成すれば次には、これらの各部分が工人の手によって実物に作り上げられなければならない。すなわち一つ一つの場面の一つ一つのショットの断片が撮影される。同じものが何度も何度も、監督の気に入るまでとり直される。この・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・これに反して平凡な工場のリアルな器械の映画には実物を見るとはまたちがった深い味がある。見なれた平凡な器械でも適当に映出されるとそれが別な存在として現われ、実物では見のがしている内容が目に飛び込んで来るのである。 実物と同じに見せるという・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・もっともこれは映像の質量と距離とをほぼ正当に評価し想定するためにそうなるのであって、もしも前述の崩壊する煙突が、実物でなくて小さな雛形であると信ずることができるとすれば現象は不自然さを失ってしまうはずである。起重機のつり上げている鉄塊が実は・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ただしこの場合における実験室は小説作者の頭脳であり、試験される対象もまた実物ではなくて、大学生や少女や探偵やの抽象された模型である。こういう模型は万人の頭の中にいるのであるが、すぐれた作者の場合にのみ、それが現実の対象とほぼ同じ役目をつとめ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ちょっと考えただけでは動物園の実物の方がよさそうに思われるであろうが、実は必ずしもそうでないのである。河馬と言うものの特徴を見せるために、その前後並びに側面から見た形、眼、耳、鼻、口、尻尾、脚等の形態、水中にもぐって鼻づらだけ出した様子、鼻・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・と聞いてみると、大概の人はちょっと小首をかしげて考え込んでしまう。実物を出して見ると、六時の所はちょうど秒針のダイアルになっているのである。 こういう認識不足の場合はいいが、認識錯誤の場合にはいろいろの難儀な結果が生じる。盗難や詐欺にか・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ それに辰之助も長いあいだ、ほとんど地廻りのようにこの巷に足を入れていて、お絹たちとはことに深い馴染なので、芝居見物のことなどで、彼の気を悪くさせるのも、あまり好ましいことではなかった。 道太にすれば、芝居はたいした問題ではなかった・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・人であったら十二人半宛にしたかも知れぬ、――二等分して、格別物にもなりそうもない足の方だけ死一等を減じて牢屋に追込み、手硬い頭だけ絞殺して地下に追いやり、あっぱれ恩威並行われて候と陛下を小楯に五千万の見物に向って気どった見得は、何という醜態・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫